カテゴリ:大河ドラマ( 272 )

NHK大河花燃ゆ第一回「人むすぶ妹」

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さて昨日の第一回大河 ご覧になったでしょうか?
大河ばなれが進む昨今 初回視聴率は16%とか
でもまあ とりあえず江戸だし・・・幕末だけど・・・書こうかな?
吉田松陰というビッグネームの妹 杉 文 の視点で描く幕末・明治ですが
いかんせん新島夫人・八重ほど 記録が残るわけでもなく
ひとえに脚本家の腕にかかっていると言っても過言ではない大河ですねー
文さんは 久坂玄瑞夫人で 次に姉の夫・小田村伊之助と再婚したことくらいしか
わからないのです
小田村さんは 初回から登場しましたね
あの川原で泣いてた 仁のひと=大沢たかおさんがやってました
この人 大河の時点では 嘉永3年(1850)ですから 21才
この時 久坂さんは まだ10才の子供です
小田村氏を ちょっと初恋の人っぽくして 兄・松陰との仲立ちをさせる
役割を まだ幼い文に割り当てて なんとなく 方針は決まったのかな
f0122653_1345554.jpgこの小田村氏は 初代群馬県令となる楫取 素彦(かとりもとひこ)と 同じ人ですよ
← 大正まで生きますので 写真もちゃんとあります
富岡製糸工場 作った人ですね
松陰や玄瑞に比べれば 長生きして
男爵までになったのだから
ラッキーボーイだったのかもね

ああ、もう!!
ティッシュが空っぽなんで 今日はこの辺で!
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by tukitodoraneko | 2015-01-05 14:05 | 大河ドラマ

軍師官兵衛 第28回「本能寺の変」

6月2日 本能寺の変 とうとう起こりましたねー
TVだけでも もう数十回見てるでしょう いろんな「本能寺」
もういいかげん飽きたんで 書く気も起きないですが 
あまりさぼると ブログ見てくれる人 激減しますんでね
それじゃさびしいんで 書きましょうね
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↑ 「絵本太閤記」大正4年版 岡田玉山画
2日午後10時ごろ 光秀は藤田伝八郎に毛利家への内応の書簡を託します
一方 京の長谷川宗仁は 秀吉に向けて早馬を出します
長谷川宗仁は 京の町屋衆の一族で 茶人
信長の元で 武士化して行った一族の一員ですね
お墓は 京都・出町柳駅そば 長徳寺に残ってますよ
この二つの使い どちらが先に秀吉の元に届いたのか
第一報はどっちか はっきりとはしてないのですね
大河では 宗仁の早馬の方が先になってました
藤田伝八郎は 水責めの包囲網にひっかかり 三日の夜半とらえられます
宗仁 「明智日向守 謀反を起こし 上さま今晩 本能寺にてご自害なされ
     信忠さまも 二条城にて ご自害」
藤田(明智) 「今月二日 京都本能寺に於いて 信長親子を討ち滅ぼせり
         二、三日中には そちらの羽柴秀吉の陣中にても騒動起こり
         行く先を求めて うろたえることあらん その虚に乗じて討たれれば
         秀吉 いかに知勇ありとも敗れるべし」
両方の書状 こんな風だったようですよ

問題の官兵衛の一言 「これで御運が開かれましたな!」は 当然ながら 
太閤記には 書かれていません
よく この一言によって 秀吉は官兵衛を警戒し 黒田は九州の一勇に終わった
と 言われている問題発言ですが これは「黒田家譜」にしか 載っていません

では 今日はこの辺で・・・・
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by tukitodoraneko | 2014-07-14 16:23 | 大河ドラマ

軍師官兵衛 第26回「長政初陣」

f0122653_174796.jpg松寿丸は元服し 15才で初陣です
高松城の水責め前ですから 「境目七城」と言われた
備中の小城攻めの時ですね
← ところで この兜 いつ頃から使ってたんでしょう?
f0122653_17525936.jpg不思議な形ですね「谷型兜」というらしいですよ →
天正10年(1582)4月のことです

なんと「本能寺の変」まで あと2ヶ月もないんですねー
この頃 もう一つの事件が起こっていました
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心頭滅却すれば 火もまた涼し
と 言った快川紹喜(かいせんじょうき)は 塩山にある恵林寺(えりんじ)の住職です
武田信玄が美濃から招いた僧で 
信玄の外交僧でもありました
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恵林寺は 信玄の菩提寺でもあり 
明王殿には 信玄31歳の時に写したと言われる「武田不動」が祀られていますよ →
この年 3月に織田軍は 武田勝頼を攻め滅ぼしますが 武田方の六角次郎が この寺に逃げ込みました
この引き渡しを拒んだ恵林寺は 僧侶を二階に閉じ込めたまま 焼き討ちにされます
有名なセリフは「安禅 必ずしも 山水を須(もちい)ず
            心頭滅却すれば 火も自ずから涼し」
と いうもので 禅の心得ですね
「炎暑の中の座禅は 涼しい木蔭でしなくともよい 
 無我の境地に入れば 燃え盛る火も 熱く感じない」
といった感じでしょうか
しかし この快川和尚 美濃の土岐氏の出身といいますから
そこは 明智光秀 黙ってないでしょう
一説には この事件も「本能寺」の引き金になっただろう・・・
と 言われてますよ

今週は 放映前ですが 先に挙げときます 
ではまた
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by tukitodoraneko | 2014-06-29 18:25 | 大河ドラマ

軍師官兵衛 第25回「栄華の極み」

f0122653_9595113.jpg今度は 天正10年まで進んで 松寿丸は元服 ←黒田長政になっちゃいましたね
もう「本能寺の変」の年ですねー
「三木の干殺し」「鳥取の渇泣かし」と言われた
悲惨な兵糧攻め ほとんどスルーしちゃいました
最初の方に出て来た公家の吉田兼和は 
京都吉田神社の神主でもある神道家で 
一緒にいた細川藤孝(幽斎)とは従兄弟同士です
最後の方に出て来た清水宗治は 備中高松城主
秀吉に「水責め」される人ですね
そして宇喜多直家が「わしが死んだら八郎を頼む」といっていたのは 後の宇喜多秀家のこと
さしものワルも 死を目前に 息子の心配
親はありがたいですねー

さて 当ブログの2007年の7月7日から
「でうすの来た道」というシリーズを書いています
これは当時 まだ1級とってない時 何を思ってかルイス・フロイスの「日本史」を
読み始め 戦国期のバテレンの布教史 キリシタン大名のこと
秀吉の禁教令の事などを 書き綴ったものです
今となっては 受験生の身で なんでバテレン?と 不思議ですが
今と変わらず 気になった事だけ追いかける性分だったんですね
ここに もちろん高山右近 黒田官兵衛のことも書いていました
(7年前だから 本人は忘れてました・・・検索でぶちあたりました・・・)
「一年を一万石に代えた男」 7/29
「信念の人 ジュスト」「高山右近の周辺」など

おヒマな時に読んでみてください
キリスト教という一面から見た戦国史 
自分で言うのもなんですが ちょっと変わっていておもしろいです
では また!
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by tukitodoraneko | 2014-06-23 11:50 | 大河ドラマ

軍師官兵衛 第24回「帰って来た軍師」

f0122653_1444185.jpg小寺官兵衛から 黒田官兵衛へ
前回・今回とあまり進捗は無いですね
官兵衛は 有岡城から助け出された後 それまでの小寺姓を捨て
本姓の黒田を名乗り 土牢の中で見た藤の花を 家紋としました
とうとう黒田官兵衛の登場ですね
f0122653_1444407.jpg約束通り 荒木家臣・加藤重徳の子 
← 三左ヱ門を養子とし この子は やがて
松寿丸=長政の元で 黒田八騎の 黒田一成となります
この当時 官兵衛は やたら恩人の子 頼ってくる者の子を 引き受け養育しています
実は わが子・松寿丸は 大河のように すぐに帰って来た
わけではないのですね
官兵衛は 天正7年(1579)10月に救出されますが 
松寿丸が 半兵衛の元で生きていると知った信長が 送り返してきたのは翌年の3月 三木城が落ちた二ヶ月後です
土牢の中で 官兵衛は「疱瘡」にかかったとも伝わります
たぶん もう二度と実子は望めないと 思っていたのでは
ないでしょうか
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三木城から 投降した後藤新左ヱ門が連れて来た8才の男子 又兵衛も わが子のごとく可愛がります
後の黒田八虎 後藤又兵衛基次ですねー →
あまり可愛がったので 実子・長政と対立 浪人して 
ひとり大坂の陣に参戦したのは ご存知でしょう
元の主人・小寺政職は 三木城落城を知ると とっとと備後へ逃走
何度も 信長に謝罪しますが許されず 二年後 
鞆で亡くなります 66才
その子・氏職(うじもと)も ひきとり養育 
主人の子は 代々黒田の家臣となります

今日はこんなところで・・・・
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by tukitodoraneko | 2014-06-17 15:18 | 大河ドラマ

軍師官兵衛 第22回「有岡最後の日」

f0122653_11185059.jpgやっと 官兵衛救出されましたね
村重が逃げ出した後の有岡城は 
悲惨なありさま
尼崎と花隈城を 明け渡せば 妻子らの命は助かったのに 
何故なんでしょうねー
この後 信長は執拗に 荒木一族を
追いかけます
みせしめのためもあるのでしょうが 
家臣をかくまった高野聖を数百人も
虐殺しています
有岡の女房衆のうち 122人は一斉に殺され
だしを含む村重の一党は 重臣の家族と共に 六条河原で処刑されました
それにしても 今回の大河「だし」をフューチャーしすぎ!
そして顔立ちがきれいだという理由で 選んだあの人 大根すぎ!
あんだけ推すなら もう少し 演技できる人にすればよかったのに・・・
前回 生涯学習センターで「大河見てる人?」と聞いたら ほとんどいなかったですね
みんな歴史が好きで 来ている人ばっかりなのに
最近は そういう人たちからも 見離されてるのかしら?
がんばれよ 大河!・・・と 思いますよ

そして官兵衛ですが 実際に救出したのは 栗山と銀屋新七の二人のようです
有岡城内で 滝川一益の説得にのった中西新八郎が放火
この混乱にまぎれて 栗山が斧で 牢の錠や枷を撃ち割ったとか
官兵衛は 戸板に乗せられ 織田軍本陣に運ばれました
さすがの信長も 涙を流した・・・と 伝えられる場面ですね
そのあと 民家に運ばれ 衣服を変え 食事をとり
籠で 有馬温泉へと療治に運ばれるのでした
姫路にもどるは まだ少し先のことです

では今日はこの辺で・・・・
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by tukitodoraneko | 2014-06-02 12:15 | 大河ドラマ

軍師官兵衛 第21回「松寿丸の命」

f0122653_957241.gif幽閉中の官兵衛が ふと見上げた藤の花
あれが後の黒田の家紋「藤の三巴」になるのですねえ
一年の幽閉の後 助け出された官兵衛は 衣服はぼろ屑 体中しらみだらけで 髪も一部抜け落ち 一人で立てないほどのいたましい姿
そして左足は 生涯不自由になってしまいました
手かせ・足かせのうえ 鎖でつながれていたと言います
TVより ずっとひどい有様だったのですね
しかし 連絡はとれていたようです
栗山四郎右衛門が 伊丹の銀細工師・銀(しろがね)屋新七のコネで城下に侵入
新七は 栗山を家に隠して 探索した結果 土牢の前の溜め池を確認
夜になって 舟で渡り 栗山と官兵衛を会わせることに成功したのです
この後は 見張り役だった加藤重徳とも渡りをつけ 連絡を続けていました
一年に渡る敵城での幽閉・・・この人がいなくては官兵衛も どうなっていたかわかりませんね
この時の恩を忘れず 官兵衛は この加藤を 家臣としています
子供があの 黒田一成 黒田八虎に入る猛将となります
f0122653_1023265.jpg←そして松寿丸も 竹中半兵衛の領地 美濃不破郡岩手(いわで)城 通称 
竹中陣屋にかくまわれていました
織田信長に逆らってまで 官兵衛の子を助けた半兵衛
その半兵衛の子・重門は 秀吉の配下となり その後は黒田家の縁で 関ヶ原では東軍で働きました
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黒田・竹中の陣地跡 今も関ヶ原に残っています→
半兵衛の子孫は 徳川幕府の旗本 交代寄合
(美濃岩手山六千石)として 幕末まで続きます
幕末に 東北まで転戦していく竹中重固
この家系ですね

では今日はこの辺で・・・・
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by tukitodoraneko | 2014-05-26 10:40 | 大河ドラマ

中川清秀と「茶碗の中」

小泉八雲=ラフカディオ・ハーンの「茶碗の中」という話 知ってますか?
映画化された「怪談」にも 入っていましたが 地味な話なので 覚えてないかな
原話は 江戸中期の「新著聞集」にあります そのあらすじは・・・・

茶店で休む堀田関内小三郎の茶碗の中に 見も知らぬきれいな若い男の顔が浮かび
その夜 当人が式部平内をなのって 姿を表します
「人にはあらじ」と思い 関内が斬りつけると 男は消えてしまいます
翌晩 今度は平内の使いをなのる三人の侍がおとずれ 関内に告げます
「思い寄りて参りしものを いたわるまでこそなけれ て(傷)を負わせるは いかがぞや
 主人は今 傷の養生に湯治したり 来る16日には 帰りなん その時 恨みをなすべし」


おっかないですねー あやしいものを 追い払っただけなのにね―
しかしこの三人も 追いかけると 隣家の塀に飛びあがり消えてしまいます
 「後 又も 来らず」
そして ここで お話しはぶっつり終わるのです えっ?て 感じですよね
小泉八雲は 最後の一文を 「そして・・・・」で 終わらせました
どっちが お好みかしら? ビミョーなとこですね

で、この堀田関内がお供してた主人が 中川佐渡守なんですね
実在の人で 中川久恒 豊後岡藩 4代藩主です
それで何となく どこかで聞いたなー?と 思ってたら 思い出しましたよ!
大河に出てくる ホラ 荒木を裏切って 織田に付いた高山右近のいとこ
f0122653_10163556.jpg中川清秀! 豊後岡藩は あの人の次男から始まってます
茶碗の中に名前だけ出てくる久恒は その
4代目だから 清秀の孫の孫 
へー そうかー・・・ ここにつながったねーと 一人得した気分
あの清秀は 信長亡き後は 秀吉について
賤ヶ岳で討ち死にしました
跡を継いだ長男は 朝鮮の役で 鷹狩中に
不用心に殺され 秀吉の怒りを買いますが
賎ヶ岳の功績で 弟・秀茂に家督を継がせ
この人が 豊後・岡藩の初代となります
結局 このまま幕末まで続きますから
大河では 優柔不断で 荒木を裏切ったやな奴のように描かれてますが 
結果としては 家系を守ったいい人ですね
まさか4代後に 怪談集の中にその名が使われるとは 思ってなかったでしょうが
私はこれでもう 忘れないよ 中川清秀と豊後岡藩!
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by tukitodoraneko | 2014-05-21 10:47 | 大河ドラマ

軍師官兵衛 第20回「囚われの軍師」

めずらしく放映前に 書いちゃおうっと!
有岡城幽閉は 前半の山場なので どうせ引っぱるでしょう
さて 村重を説得に行った官兵衛が 帰ってこないという事態に
秀吉はあせり 信長はぶち切れ でももちろん一番困ったのは 姫路の人々・・・
このままでは 一族もまきぞえだし 人質の松寿丸の命も危ない・・・!
実際 信長は竹中半兵衛を呼びつけ 長浜城にいる松寿丸を
すぐに殺せ!と 命じています
しかし 姫路の人々も ボーっとしてたわけではありません
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↑ 現在の地図で見る 有岡城の総構えです
本丸部分は 200m四方くらいであまり大きくなかったのですね
東半分は 福知山線の伊丹駅構内になっています
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この絵図だと 赤線でかこった所が 本丸部分 (右が北です)
官兵衛が 幽閉された土牢は 本丸の西北の隅にあったといいます
三方は 竹藪に囲まれ 一方には森とその奥に深い溜め池があったといいますが
この位置は 特定されていません
有岡城自体が 落城から2年後には 廃城となってしまい 昭和の発掘まで
400年間 埋もれていたのですから 仕方ないでしょう
少なくとも 本丸を囲む堀の内部だとは 思うのですが・・・
この頃 官兵衛の家臣・栗山 母里 井上らは 商人の姿で
有岡に潜入し 必死に 官兵衛の消息をさぐっていました

続きは 大河の後で・・・・
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by tukitodoraneko | 2014-05-18 15:17 | 大河ドラマ

荒木だし 謎の出自

f0122653_9272165.jpgいろいろ調べてみましたが だしの出自はいろいろあってビミョーですね
まず立入(たてり)宗継 号・隆佐の
残した「立入左京亮入道隆佐記」
この立入氏は 禁裏御倉番・・・つまり天皇の金庫番を務めた人で 時の
正親町(おおぎまち)天皇に織田信長を上京させ援助を乞うよう進言したとされる人です
清州城に2度も出向き信長と会っていますし 上京の折には粟田口まで出迎えに行ってます
この人の書いた記録によればだしは 本願寺の坊官・下間氏の傍流で川那辺氏の出とあります
下間氏は 清和源氏・あの頼政の子孫で 親鸞と共に下妻に下り 
当地の地名・下間を名乗った一族
バッリバリの信徒代表って感じですね
傍流の川那辺氏も あの守山・金森城を居館とし 金森道場を作った人たち
その娘が 敵の織田方武将・荒木村重の側室にあがるって どうなんでしょう?
宗継によれば だしは「今楊貴妃」と言われる美女だったそうですが
それにしてもねー
実はもう一つ おもしろい説があるんですよ
ネタ元は あの「武功夜話」(前野文書の一部)なんで 眉ツバではありますが
これによると だしは 信長の側室で生駒氏の娘・類(武功夜話では吉乃)と
その前夫・土田弥平次の間の娘で 信長が養女にして 村重に与えたことになってます
有岡城から 乳母に抱かれて逃げた一歳児は 成人後 織田信雄に近習として
召し抱えられているんですが 武功夜話が正しければ これ叔父・甥の関係ですよね
いろいろと難点の多い武功夜話ですが 初めは荒木の寝返った本願寺にかくまわれ
信長の死後は 叔父の信雄を頼った、と考えるとすっきりしますが
あなたは どう思います? 
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by tukitodoraneko | 2014-05-16 10:08 | 大河ドラマ