新撰組の幽霊

今日は ちょっと新撰組のこと 書いてみようと思います
と 言っても 専門に研究している方から ミーハーファンまで
コアな信奉者が とっても多い分野ですので 恐る恐るですよ
先日 ネットの「新撰組サイト」を見ていたら 「ウチはコスプレ等はしません」と
書かれてあって 思わず苦笑してしまいました
ご苦労が忍ばれるカキコミでした
f0122653_96578.jpg←子母沢寛氏の「新撰組始末記」は オビに書いてあるとおり 新撰組に関しての古典ですね
昭和2年に出たものです
これ以前には 西本願寺の寺侍・西村兼文の「新撰組始末記」と 生き残った隊員・永倉新八の「新撰組顛末記」がありましたが 前者は批判的 後者は内部的で私観的な部分が多く 客観的に書かれたものとしては やはり最初で最後の労作でしょう
三部作になっていますね
これは 初めて 新撰組を「野蛮な無頼集団」という見方から解放するきっかけになった本です
たいていの「新撰組ファン」の方は この本から影響を受けての事と思います
これ以降に出た本も 典拠にしているのは やはり この本ですね
だから 新撰組のたいていのことは この三部作と あとの2冊を
読んでいただければ わかってしまいますので
今日は 他の事を 書いてみましょう
昭和45年の「京都新聞」に載った記事から 新撰組の幽霊の話です

時は まさに 高度成長期 
道路造成と淀競馬場の拡張工事のため 
むかしから「千両松原」と呼ばれていた湿地帯にも 工事の手が入りました
ここは 鳥羽・伏見の古戦場跡で 旧幕軍が敗走した後も
新撰組が踏みとどまって 多くの死傷者を出したところ
幹部の井上源一郎も ここで戦死しています
当時も 人気のない淋しい湿地帯で 堤の傍らには小さな「幕軍慰霊碑」が立っていました
工事のため堤を壊し この慰霊碑も片付けられてしまったのですが
その直後から 飯場に「新撰組の幽霊」が出るという噂が立ったのです
だんだら模様の羽織を着 紫地に「誠」と染め抜いた隊旗を掲げた
血だらけのサムライ達が 口々に「元に戻せ」と訴えるんだとか・・・
同時に 工事中に事故が起こり 幽霊のたたりと騒がれて作業はストップ
困った会社側は 近くの妙教寺にたのんで 法要を営み
慰霊碑のあった辺りを 改めて掘り返すと 人骨がざくざく 出てきたそうです
これを 改葬して供養したところ 幽霊の出現は ピタリと止まったそうですよ

この時 出てきた新撰組隊士 いったい誰だったんでしょうね
「私もたたられたい」なんて 思っている人 いませんか?






 
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by tukitodoraneko | 2008-11-21 10:26 | 江戸のあれこれ

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