江戸に死す 新門辰五郎の一生

この前 ちょっと触れましたが 慶喜の側室・お芳の父親
新門辰五郎について 書いておきましょう
f0122653_813645.jpg← 雰囲気ありますね
1800年ころ きせる職人の子に生まれたと言われています
しかし 職人のお父さんは 火事のため亡くなり その後は 町火消「を組」の頭の元で育ちました
やがて その頭の娘婿となり 組を継ぎます
若いときから 人望もあり 3000人の手下を束ねたと 言われていますよ
「侠客」とも呼ばれる 一種の親分ですね
「新門」と呼ばれたのは 浅草寺・伝法院にできた「新しい門」の警備を 任されていたからです
写真の通り なかなか気風(きっぷ)のいい江戸っ子タイプ
子分たちが けんか騒ぎを起こしたときには 責任を取って 佃島の人足寄場に送られています
しかし この時 火事が起こったのを そこは本職!皆に指図して 火が移るのをくい止め 多くの人命を救ったと言う事で 許されます
これでまた 名が上がるわけですね
そんな 辰五郎が 将軍・慶喜と知り合うのは 浅草寺の門跡の紹介だったようです
浅草寺は 有名な古跡であり 将軍家の祈願時でもあり その門跡は 京都の親王家から 来ていました 寛永寺と同じですね
知り合った二人は 身分・年齢を超えて生涯の友人となりました
若い慶喜からすると 辰五郎は父親のような 年齢なんですがね
慶喜が 京に上ると 辰五郎は呼び寄せられて 三千の部下を率い
二条城の守備に当たっています
また 慶喜がトンズラした時 大坂城に 家康以来の「金扇の馬印」を
置き忘れて 来てしまいます
これを 取りに行って 東海道を堂々と 江戸に戻ってきたのも
新門辰五郎の手柄ですね
勝海舟が 西郷隆盛と会談した時には 交渉が決裂したら
江戸の町に火を放つという命令が出ていて
この時 辰五郎は 江戸を背にして 三千の部下達と
その覚悟を決めていたそうです
まるで お芝居のようですね
娘 お芳は 慶喜の妾でしたが 大変な美人だったということですよ
慶喜が 静岡に移ると これにも着いて行き ここで清水の次郎長とも
親交があったと 伝えられています
晩年は 生まれ育った江戸・浅草に戻り 明治3年 ここで
76才の 生涯を閉じています
男一匹 最後の将軍と運命を共にした「いい男」でした
今でも 浅草の新門は 彼の末裔・町田氏が継いでいますよ
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by tukitodoraneko | 2008-11-18 08:48 | 江戸のあれこれ

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