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今夜 バトル勃発

オリンピックをはさんだので ぼやぼやしてたら もう今日には
「和宮」が 嫁に来ちゃいますねー
天璋院が 初対面で 和宮を下座の敷物もないところに座らせたとか
和宮が「天璋院へ」と 呼び捨ての宛名を書いた みやげ物を寄こしたとか
最初のバトルが もう始まりますね
このことは 当時のあらゆる記録(もちろん庭田嗣子の日記にも)出てくるので
本当にあった話なんでしょうね
今夜 バトル勃発_f0122653_12425338.jpgタイトルも「公家と武家」とバトル丸出しなんで うわー どう扱うんだろうな と思ってます
初対面の座り順に関しては 間違いなく天璋院側が
いけませんからね
もともと 江戸城大奥のトップは 当代(この場合は
家茂)の御台様と決まっているのです
篤姫が嫁に来た時だって 先代の御台様はもう亡くなっていましたが 家定の生母・本寿院は 下座から 挨拶をしていましたよね
本当は あれが普通なんですよ
礼儀としては あれが当たり前で あとは嫁のほうの
心がけ次第です
それに武家だって 嫁に行った場合は 実家の格式が
高い方が優先されるんですね
将軍の娘たちは ほとんど実家の格の方が上ですから
だんなさんよりも 上の格式で通しました
例えば 加賀百万石の殿様でも 江戸府内では「下に~ 下に~」という
人を土下座させての行列はできませんでしたが ここに嫁に行った家斉の娘
溶姫(やすひめ)には 許されていました
これと同様に 実家が「天皇家」の和宮が 上座で挨拶を受けるのが当たり前
どう考えても これは最初から天璋院側が「けんか売ってる」みたいです
そもそも 姑が二人も同居というのが 普通ではありませんね
家定の生母・本寿院はさすがに 和宮の降嫁の前に 二の丸に下がりましたが
それでも 家茂の生母・実成院と 天璋院が本丸に居座っていました
これは それまでの大奥のしきたりから見ても 異例のことなんです
近衛家から来た天英院や 薩摩から家斉に嫁いだ広大院にしても
御当代が 嫁をとる場合には 同一建物に住まないように配慮していました
余計な軋轢を 避けたんですね
どうして天璋院と和宮の場合だけ こんな大変なことになったんでしょうか
今夜の放送を見てから 明日はそのことをちょっと書いてみましょう

by tukitodoraneko | 2008-08-24 14:13 | 江戸のあれこれ

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