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大老の首をとった男

「桜田門外の変」の実行者18人のうち たった一人の薩摩藩士
有村次左衛門のことを書いてみましょうね
大老の首をとった男_f0122653_1475768.jpg

↑これは明治43年に「桜田門外の変50周年祭」というのが
やまと新聞社の主催で行われ たぶん切手が貼ってあるところを見ると
「はがき」として 配られたものでしょうか 
有村次左衛門の「遺墨」(母にあてた最後の手紙)と
大老の首を取ったときの刀の写真が載っています
彼は 薩摩藩士・有村仁左衛門の三男として生まれ
長兄は 有村俊斉 西郷や月照を薩摩まで護衛した人で
後の子爵・海江田信義です
すぐ上の兄は雄助と言って 同じく「桜田門事件」の計画班に加わって
事件後 関鉄之助らと共に 薩摩まで逃げますが
幕府の追及を恐れた薩摩藩の命で 自刃させられています
弟は 有村国彦といって 西南戦争で「熊本鎮台」を務めた人
兄たちと違って 明治からは実業界で活躍し やはり子爵になっています
この生き残りの長兄と末弟の娘は そろって「東郷平八郎」兄弟に嫁いでいます
日清・日露戦争の海軍大将で 「陸の乃木・海の東郷」と言われた人ですよ
さて 桜田門の事件に何故 薩摩の有村兄弟が関係したかというと
この二人も 江戸藩邸に詰め 北辰一刀流(千葉道場の!)を習うなど
水戸藩士との交流があったのですね
それで兄は計画班 弟は実行班として この「襲撃」に参加しました
メンバーは 前日 品川の引手茶屋「稲葉屋」に集合し
当日は それぞれ別々に宿を出て 芝・愛宕山で再び顔を合わせ
そこから 桜田門へと参集しました
大老登城の隊列が 自門を出て100メートルくらい進んだ時
訴状を持った森五六郎が 供先に近寄り きっかけを作ります
大老への駕籠訴と思った徒歩(かち)が 隊列を止め近付くと
相手はいきなり 刀を抜いて切りかかってきました
そこへ かねてからの合図の短銃の音が響きました
撃ったのは 駕籠の左から攻める「左翼隊」の黒沢忠三郎
実は この一撃で駕籠の中の大老は 太ももから腰を打ち抜かれ
すでに 瀕死の状態だったのです
そこへ 左右から襲い掛かる浪士たち 
不意を襲われた供侍たちが あるいは討たれ あるいは呆然とする中
唯一 駕籠の前に立ちはだかったのは 井伊家の供目付・河西忠左衛門
小太刀と太刀を両手に 瞬く間に数名の浪士を切り倒しますが
やがて 駆けつけた浪士たちに取り囲まれ 四方から切りつけられて絶命します
この剣豪が倒れると すでに駕籠回りには供の姿も無く
大老は やすやすと駕籠から引き出され 有村次左衛門に首をとられてしまいます
しかし 襲撃した浪士たちも ほとんどが深手を負い
有村も 日比谷通りから馬場先門まで たどりついたところで
「首」を かたわらに自刃して果てました
こうして 戦いの最中 切死にしたもの1名 自刃したもの5名
老中・脇坂安宅邸に4名 肥後藩邸に4名ずつ自首し
関や有村雄助らは 京に向けて逃走 やがてほとんどの者が 斬首となりました
一方 井伊家の供揃いの者たちにも 厳しい沙汰があり 事件を通して
無傷であったもの 軽症であったものは 死罪や断絶など
双方にとって 大変な災厄をもたらして この事件は終わりました
もう8年足らずで 幕府は崩壊していく・・・
これは その「序曲」となった大事件でした

by tukitodoraneko | 2008-08-16 15:54 | 江戸のあれこれ

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