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「プッツン」前夜

こんにちわ 毎日暑くてバテちゃいますね
今日は昨日の「篤姫」でくわしく触れなかった政治向きの動きのことを
おさらいしときましょう
幕末はドドドっと進んじゃいますが 1つ1つ丁寧に押さえとくと
理解しやすくなります (誰よりも私にとって・・・)
まず 波乱の幕開け 安政5年(1858)をダイジェストしてみましょうね
 3月20日 孝明天皇 条約調印に関しては 諸大名と協議のうえ再度請願しなさい
        と 堀田正睦に告げる 簡単に言えば「不許可」
 4月23日 井伊直弼 大老就任
 6月19日 幕府 アメリカと無勅許・調印
    24日 水戸斉昭・慶篤親子 松平慶永(春嶽) 徳川慶勝(尾張)ら
        不時登城して 井伊直弼を詰問
    25日 家茂 将軍継子に決定
 7月 3日 家定 倒れる  老中ら 大奥寝所に呼ばれる
    4日  〃  一時持ち直し 井伊直弼と政治向きの対談
     5日 不時登城した一橋派に 隠居・謹慎処分下る
     6日 家定 薨去
     7日 島津斉彬 没
 8月 8日 「戊午(ぼご)の密勅」 水戸藩に下る
「プッツン」前夜_f0122653_16441075.jpg←安政の大獄の引き金となる「密勅」を出したのはこの人
孝明天皇です
この人を中心として 朝廷や公家は外国との調印に反対でした
特に この頃になると中・下級の若い公家たちの間では
「攘夷思想」が蔓延 徒党を組んで天皇に訴えるほどに
活性化していたんですね
このため孝明天皇も 「攘夷」を掲げる水戸・一橋派の意見に動き
前代未聞の 幕府の頭越しの「密勅」降下となりました
内容は 幕府の独裁的条約調印を責め これからは外様も含む
各大名と談合の上 攘夷に励むよう・・・・というものです
このやり方に 井伊直弼が「プッツン」しましたよー
どんだけプッツンしたかは また明日くわしくやりましょう 


 
 

by tukitodoraneko | 2008-07-21 17:16 | 江戸のあれこれ

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