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信じる海に月 照らす道

さてさて 昨日は大老・井伊直弼のこと書きましたが
この人の登場と 斉彬の死で これから苦難の日々となるのが西郷さん
藩主は代われど バックには斉興がまた登場し 
斉彬が可愛がっていたものたちは 徹底的に嫌われます
この間 西郷さんを助け 力づけてくれたのが「月照」さんです
信じる海に月 照らす道_f0122653_13103296.jpgこの方 お父さんは土佐出身で 大阪で医者をやっていた人です
月照さんは 小さい時から学問好きで やがて仏門に入り 有名な京都・清水寺の住持も勤めています
近衛忠煕とは 和歌の道を通して親しく 当時は薩摩藩や水戸家など「一橋派」と朝廷をつなぐパイプ役を務めていました
勤皇派の志士たちとも親しく 「勤皇僧」とも呼ばれて
いましたよ
斉彬の死後 落ち込み 薩摩の斉彬の墓の前で切腹しようとしていた西郷さんを いさめて立ち直らせたのも 
月照さんです
清水寺の住持の地位を弟に譲り 国政のために力を尽くしたんですが 最後は「安政の大獄」で追われ 西郷さんと共に錦江湾に入水して 一人だけ亡くなってしまうのですねー
辞世の句は 
   大君のためにはなにか 惜しからむ 薩摩の瀬戸に身は沈むとも
安政5年(1858) 11月16日 享年45才でした
今でも この近くに「月照 入水の碑」が残っていますし
西郷さんが あやうく助け上げられて介抱された「西郷 蘇生の家」
というのも 近くに残っています
清水寺でも 毎年 この日に「落葉忌」という行事を続けています
清水寺を継いだ弟の「信海上人」も やがて兄と同じ信念を持ち
京都で捕らえられ 江戸に送られて獄死していますので
同じこの日に 慰霊されています
  西の海 東の空とかわれども 心は同じ 君が代のため
というのが 信海さんの辞世です
また 月照さんに最後までつきそった下男・重助が
後に西郷さんの援助を受け 始めたという「忠僕茶屋」というのが
清水寺の境内に今も続いていますよ

安政の大獄は 表面に出てくるものばかりでなく
いろんなところで 多くの有為の人々を弾圧したんですねえ
それがかえって 「尊皇攘夷」の火に 油を注ぐことになるのは
皮肉な結末でした
別れ別れに散った 二人の兄弟に「返歌」いたしましょうね

  西東 日はうつれども永久(とわ)の世を
                 信じる海に 月 照らす道

by tukitodoraneko | 2008-07-16 14:21 | 江戸のあれこれ

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