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家定さま 一月どうしてたの?

家定さま 一月どうしてたの?_f0122653_14181332.jpgさて 「バイバイ家定さま」シリーズ第2段です
今日は 「13代将軍暗殺疑惑」についてです
もともと 将軍代替わりには大抵「疑惑」がつきもの
5代・綱吉なんて「謀殺疑惑」です
しっかりした実子の世継ぎがいる方が少なかったので ここに対立が生まれるのは仕方ないこと
相手を追い落とすために こういう噂を流すんですね
家定の場合は この噂に「伊東玄朴」が一役かっています
急に倒れた家定を心配して 漢方医ばかりでなく
近頃 評判の「蘭方医」にも見せようと 
老中や大奥の意を受けて 初めて「奥方医師」に家定さま 一月どうしてたの?_f0122653_14373134.jpg任命された玄朴
人事不省の家定の脈を取ったとき こともあろうに
「毒が回った」と 言ってしまったんですね
これは 「脚気の毒が 体中に回って・・・」と
いう意味だったんですが
これを聞いた殿中は大騒ぎになりました
死去の翌日の日付で 家定付きお使番・藤波が
弟に送った手紙が残っています
「あなたにだから言うのですが 毒薬でお亡くなりになったのです 当番の医師もおりましたが 水戸・尾張・一ツ橋・越前など皆が 組しております この他にもこの間 罷免された二人の老中(堀田・松平忠固のこと)など 色々な人がおります」  うわー もうメチャクチャですね
かたっぱしから 「毒殺犯」扱いです
それに 家定の死は一月あまり隠されて 翌8月 8日に公表されています
こんなところも 「なんかあやしい!」と 思われたんでしょうね
これは ロシアとの調印問題など 問題が山積みだったからです
翌日には 紀州の慶福にも「家定急死」が告げられ
すぐに 将軍代行として 職務に着きはじめました
この間 家定は「生きていること」になっていて
七夕も 八月一日の「八朔」の祝儀も 例年通り行われています
「徳川実記」には 連日「上様は疝癪の病いで 表御殿には出御せず」
と 記録されています
この間に 江戸城を訪れたプチャーチンやイギリスの使節にも
「将軍は病気で 面会できない」と 告げられていますよ
そして 家定が実際に倒れてから ちょうど1月後の8月3日
「上様 暑気当り」ということで 老中や高家・諸大名に登城を命じ
5日後の 8日 正式に「薨去」が発表されました
葬送の儀は この10日後の18日です
ここで 当然のように 私の頭には 1つの疑問が浮かびます
この暑い盛りの1月半 家定さまの遺体はどうなっていたのでしょう?
とにかく 公式には「生きてた」ことになってるので 記録にもなし
さすがに奥女中たちも そんなこと手紙には書きませんし・・・
う~ん・・・・気になる!

by tukitodoraneko | 2008-07-13 15:28 | 江戸のあれこれ

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