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江戸時代は 「馬」と同列

今日は 「富士山」の話をしましょう
むかし江戸の町には 百あまりの「ミニ富士山」があったのは ご存知ですか?
今でも 60くらいは残っているそうです
ひとつひとつ回って歩いて 記録している方もいらっしゃいます
中には 1メートル程度の「ミニミニ富士」もあるんで
今のうちでないと 行方知れずになってしまうかも しれませんものねー
江戸時代は 「馬」と同列_f0122653_12454356.jpg一番古いのは 高田水稲荷にできた「高田富士」と言われてます
←絵の右上に見えますね 
これは 江戸中期の植木職人・藤四郎が作った5メートルもあるものです
もう無くなってしまいましたが 早稲田の辺りです
この頃 江戸では「浅間(せんげん)信仰」というのが 大はやりでした
「此花開耶姫(このはなさくやひめ)」を祀った「浅間(あさま)神社」に対する信仰ですが 
その御神体が「富士山」だったんですね
文化・文政期(1800年代)には 「富士講」という宗教サークルが 800を越えるほどできたということです
その中には 女・子供・老人も多く おいそれと本物の富士山まで 出かけることは出来ません
そもそもこの時代 「御山」はどこも「女人禁制」
今でも 有名な山岳信仰の御山には 「馬返し」と言うポイントが残っていたりします
馬と 女の人はここから帰らなきゃならなかったんですねー
富士山も 60年に一度の「庚申の年」しか 女性の参拝は許されませんでした
そんなことから 手軽に拝める「ミニ富士」が 大流行したんですね
この他にも 「駒込富士」や 浅草・砂利場の「浅草富士」
深川八幡境内の「深川富士」 「下谷富士」 「江古田富士」
鳩森八幡境内の「千駄ヶ谷富士」 本所や鉄砲州も有名です
江戸時代は 「馬」と同列_f0122653_13185270.jpg今は 7月1日に「山開き」するところが多いですが
江戸時代には 6月1日でした
この日には どこの富士も大変な人出で
←魔除けの「麦藁(むぎわら)蛇」や 五色の網袋 杏(あんず)や李(すもも)の菓子などが おみやげに売っていました
初期の頃には 男の子は 水ごりをして 濡れ髪を結ばず 散らし髪のまま お参りする習慣があったそうですよ 
今でも「浅草富士」を除いて あとの「ミニ富士」は7月1日に「山開き」です
ちゃんと 魔除けの蛇も買えます
夏バテになる前に 行ってみるのもいいですね

by tukitodoraneko | 2008-06-20 13:38 | 江戸のあれこれ

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