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幕末の結婚式 (替え玉はダメよ)

今夜の大河「篤姫」は とうとう「婚礼」だそうです
この時代の 武家の婚礼のこと 書いて見ましょうね
幕末の結婚式 (替え玉はダメよ)_f0122653_1625084.jpg←はい かわいいですね
基本 お雛様みたいな装束で
お婿さんの方は「烏帽子・直垂(ひたたれ)」です
胸にかかってる大きいキャンディみたいのは 守り袋ですよ
信仰心の厚かったこの時代 町人でも こういう「守り袋」をいつも身につけてました
篤姫のお部屋にも この守り袋を掛けるところが あったはずです 
身につけてない時は 専用の場所に掛けておくんですね
さて 篤姫の場合 安政3年(1856)11月に江戸城に上がり
翌月12月の11日に結納 18日に婚礼式(結婚式)でした
今と違うのは 一日で終わるわけじゃなく 
この後も いろんな儀式が 十日あまり続く点です
まず 翌日には「皆子餅(みなこもち)の御祝い」があります
これは婿の方から 嫁の家に 餅をついて送るもので
ついたお餅は 580個に丸めて 送るんですね
「子孫繁栄」の意味をこめた 儀式でした
そして そのまた次の日は 婚礼三日目の「三つ目の祝い」というのがあります
このとき 無事婚礼が済んだことを祝う「能の上演」があります
そして 五日目の「五つ目の祝い」が23日
「七つ目の祝い」が 25日です
この時は 婚礼と年末の贈答の季節が重なってしまったので
ほとんど毎日のように おびただしい献上品と下賜品が
行ったり来たりしたんですねー
薩摩の奥からも 「小の島」が連日 「女使い」として江戸城に上がっています
27日にはまた 婚礼が無事済んだ御礼として
島津家から すべての本丸女中に対し 白銀と縮緬(ちりめん)が送られています
大変ですねー 
これでも 家定は3度目の結婚ということで 万事「質素」だったんですよ

さてこの婚礼式の日まで 篤姫は夫になる家定さまには公式には会えなかったんですね
(かくれんぼ乱入したんで はからずも事前に会っちゃいましたが・・・)
武家の間では お見合いなんてありませんでしたから それが普通でした
でも 大名の殿様の場合 それとない「顔見せ」みたいようなものはあったらしく 
こんな おもしろい話も残っています

幕末の頃 秋田・佐竹藩のお殿様が さる大家のお姫様をめとることになりました
佐竹のお殿様は 代々 美男揃い
そして お興しいれの姫君も 噂では大層な美しさということで
評判を聞いた下々までが 美男美女の婚礼を一目見たいものと
当日は あちこちから影のぞきしていたそうです
そして 姫君のお駕籠がやってくると その供のものまで 天女のような美しさ
女が天女なら 男のお供も役者のようないい男ぞろい
さぞや お姫様は・・・と誰もが 息を呑んで見つめていたところ
御髪も衣装も 照り映えるばかりのその方の お顔といったら
みんな 息を呑んだまま固まってしまった というぐらい
美人どころか おでこでしわくちゃ 歳もいくつかわからない
人三化七(にんさんばけしち・・・人が三割で 残りの七割が化け物)
という とんでもない姫君が 出てきたのです
この方は 九日目に離縁になったそうですよ
器量が悪くて離縁て それはないでしょ と 思いますが
なんでも見合いの時は 「おこい」という美人女中が替え玉になったそうで
まー 詐欺みたいもんですから とうとう 返されてしまいました

こんなこともあるんですねー
いつまでも 「成人式」の写真 お見合いに使っちゃダメってこと?
それぐらいは いいよねー

by tukitodoraneko | 2008-05-18 17:32 | 江戸のあれこれ

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