人気ブログランキング | 話題のタグを見る

真田 日の本一のつわもの

真田幸村の大阪城・入場に関しては 
「山伏姿で 一人きりの入場」というカッコいいバージョンもありますね
元禄期に成立した「真田三代記」あたりを 元ネタとして
講談や立川文庫で 伝わった話です
真田 日の本一のつわもの_f0122653_1716085.jpg
上記のように 歌舞伎にもなってます
しかし残念ながら「真田十勇士」は 実在しません
似たような名前・能力・経歴などを 持つ配下もいたようですが
やはり 実在ではなかったんですね
大坂の陣 冬・夏通してのヒーロー 幸村に関しては
競って その武勇をたたえた物語が 虚実とり交えて作られて
多くの人たちに 読まれ語り継がれてきました
冬の陣での 大阪城の南に作られた出城には 「真田丸」と言う名前がつけられ 
幸村の獅子奮迅の働きを 後世に伝えました
そして夏の陣では 真田隊の決死の突撃によって
三河以来はじめて 家康の「馬印」は地に伏したんですね
この時 そばに付く旗本たちは ほとんどが逃げ
「さすがの将軍も 切腹をかくごした」と キリシタン教会史に 書かれています
幸村の最後は 疲れて座り込んだところを 松平忠直の鉄砲頭によって
討ち取られたもの 
徳川方の細川忠興は その手紙の中で
 手負いの上 くたびれ伏しているものを討ったので 手柄にもならない
と かえって幸村を擁護するかのように 書き残しています
真田幸村に対する「賛辞」は 本来 敵方であった者たち
徳川に味方して勝ち残った者たちによって 広まったといってもいいでしょう
 その代表 細川忠興の書状 そして島津家の記録より・・・ 
 
 真田左衛門佐 合戦場において討死 古今これなき手柄! 
 真田 日ノ本一の兵(つわもの)! いにしえよりの物語にも これなき由
 
同じ時代に生き 戦った これらの武将たちの賛辞こそ
幸村には 最もふさわしいものに 思えます
 

by tukitodoraneko | 2007-12-15 18:08 | 江戸のあれこれ

<< 後藤又兵衛基次 見参! 「真田 六文銭」の旗印 >>