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「真田 六文銭」の旗印

真田家の起こりに関しては ひとつの伝説があります
清和天皇の皇子・貞秀親王が 眼病を患って
信濃の温泉に養生に来るという 歌舞伎の「妹背山女庭訓」と
そっくりな話なんですが (歌舞伎では 天智天皇でした)
皇子は この地で一人の娘と恋に落ち 子をなします
その子が 土地の名族となり 真田家もその血をひいている
つまり 真田一族は「清和源氏」のDNAを 継いでいるというわけです
「真田 六文銭」の旗印_f0122653_8191029.jpg武士の名族を祖先にもつ真田一族
父・昌幸から幸村へと その血は受け継がれました
幸村 まだ十代の頃 武田氏は滅亡 北条氏政の大軍
4万5千に囲まれ さすがに気落ちしている真田軍にあって
 今こそ 家名を上げん!何を 恐れることやあろう!
そう叫んだのは 14才の幸村でした
敵方の重臣・松田尾張の守の紋・栄楽銭を 白旗に描き
六手に分かれて 夜討ちをかけたのです
北条方は 自軍の謀反かと大騒ぎになり
その間に真田軍は無事 領地に帰り着きます
父・昌幸は 幸村の英知と武勇をたたえ 
この時の記念として 六つの永楽銭ー六文銭の旗印を許すのです
「六文銭」は 六道銭ともいい 三途の川を越す「六道の渡し」の渡し賃
「六文銭」の旗印は いつでも三途の川を渡る用意がある という
武士の決意を あらわしているんですね

 あれ見よ! 真田六文銭じゃ!
 おう 赤備えに六文の旗!真田の旗が上がったぞ!

大坂城に掲げられた幸村の「六文銭」の旗印を見た時
人々は 歓呼の声で これを迎えたということです

by tukitodoraneko | 2007-12-14 09:26 | 江戸のあれこれ

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