浅草殉教と刑場跡

「慶長遣欧使節」が 出航したこの年
江戸で初めての キリシタン弾圧がありました
「浅草の殉教」と言われているものです
ここには「南蛮寺」と言われた教会や 「溜り」と呼ばれる非人の居住地が
ありました 初期の刑場も この辺ですね
家康の「禁教令」で 壊された教会の跡地に病院(といっても小屋みたいもんですが)
を建て ライ病の患者などが集まっていたのですが
きまじめな2代目・秀忠は 家康の命を忠実に守って これを弾圧しました
f0122653_10261374.jpg今は 浅草教会の裏手に 「殉教碑」が建っています
この頃から 各地ですさまじい弾圧・拷問・処刑がまきおこるんですね
このあたりの記録は 読むだけで気分が悪くなります
そしてほんとに「どうして?」と思っちゃいます
幕藩体制の根底を覆すような宗教が 支配層に広まると思っていたのか
長い 仏教や多神教の伝統から あっさりキリシタンに変われるものか
宗教のために これほど命を軽く見ることができるのか
という 様々な疑問で 頭いっぱいになっちゃいますね
現代は 宗教の自由が守られてるんで 結構なことですが
「宗教を信じない自由」の方も 守ってよと思います
休日の早朝や パソコン開いてる時はとくに・・・・

あ 脱線しちゃった・・・・もどります
浅草あたりに 刑場があったのは幕府が開かれて50年間です
このあと 町屋が増えて 千住・小塚ッ原と 品川・鈴が森に移りますね
それまでは 浅草と芝口(今の新橋あたり)にあったんですよ
ほとんど 痕跡が残ってないんでわかりませんね
しかし またその前 幕府が出来る前までは
なんと日本橋地区のど真ん中あたりにあったそうですよ
後に 本町4丁目になったあたりです
この辺りが開けたあとも 神田明神や山王の神輿はここを除けて通ったとか・・・
当時の人たちの 「穢れ」を忌む感覚が分かりますね
明治になってからも 伝馬町の牢屋敷あとは 全然売れなくて
結局 財閥系が共同で すーごく安く買ってお寺になったみたい
今ならあっという間に 高層マンションかファッション系のビルになっちゃうのにね

昨日のの答えは (ろ)
(Q) 隅田川は様々な呼び名がありましたが 江戸時代以前の呼び名は?

 (い)宮戸川 (ろ) 神田川 (は) 宮川 (に) 神宮川
では また明日 



 
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by tukitodoraneko | 2007-10-11 11:10 | 江戸のあれこれ

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