日本初の油絵モデルは?

キリシタンの受難がまた始まったこの頃
どういうわけか 東北は仙台からヨーロッパに向けて
一艘のガリオン船が旅立ちます
なんと仙台侯・伊達政宗が石巻で作らせた「サン・ファン・バウティスタ」号です
正使はスペイン人宣教師 ルイス・ソテロ
副使は 仙台藩士・支倉常長(はせくらつねなが)
そう 有名な「慶長遣欧使節団」ですねf0122653_1165297.jpg
遭難した総督を送り返してやったお礼に
ビスカイノというスペイン人がヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)から 来ていたのを覚えてますか?
この人と家康との商談は 結局うまくいきませんでした
スペインはオランダと仲が悪い上 宣教にも積極的
外交顧問のウィリアム・アダムスの助言もあって
家康は イギリス・オランダを通商国に選びました
だからビスカイノも 「バウティスタ」号で帰国することになったんですね
この使節団に関しては 今だに諸説紛々です
 伊達政宗には 独自の貿易ルートを作って 家康に対抗する気があったんじゃない?
 いやいや 天下もまだ狙ってたと思うよ
って感じですか  どうだったんでしょうね?
結果的には1612年に出港 1620年に帰国した時には
厳しい「禁教令」が出ていて 伊達侯はだいぶ困ったみたいです
キリシタンだった支倉さんは 正宗のとりなしで なんとか許されますが
帰国から2年後 失意のうちに病死(?)しています
この人の息子も 召使がキリシタンだった責を負い処刑され
支倉家は断絶になっています 踏んだり蹴ったり?
思えば 上の肖像画が描かれた頃が 常長 人生の頂点でしたね
彼はローマで貴族に取り立てられ 
日本人で始めて油絵の肖像画のモデルになった人です
最後は不運でしたが この頃の日本人にはなし得ない
たくさんの経験もしています 
ある意味 後世に名前を残した いい人生だったのかも・・・

昨日の答え (は)
また例題出しますね コメントに答え書いていただけたら解説もしますよ
(Q) 川柳の生みの親 柄井川柳は江戸の町の役人でもありました その役は?
  
 (い) 月行事 (ろ) 町名主 (は) 書役 (に) 町奉行所与力
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by tukitodoraneko | 2007-10-10 12:01 | 江戸のあれこれ

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