朝鮮通信使は大人気!

朝鮮通信使の話をしましょう
徳川幕府になってから 大きく変わったのは朝鮮との関係です
「朝鮮征討」で 耳塚が出来るほどの虐殺を行った秀吉と比べ
家康の評判は 上々でした
対馬藩を窓口として 国交回復に努力した成果ですf0122653_7522713.jpg おかげで 朝鮮からは 将軍の代替わりごとに 通信使が来るようになったんですね
記録によると 1604年から1811年までに 12回
この頃は お隣の国なのに 往復3ヶ月くらいかかったようです
対馬経由で船で来て 大坂あたりから陸路で江戸まで来たようです
最初は かっこつけて 新橋のところに お迎えのためだけに
「芝口門」まで作って 熱烈歓迎したみたいです
ま、すぐ火事で燃えちゃいましたが・・・
この通信使 正式な人員だけでも500人の団体さん
それに対し 警護の対馬藩士が800人あまり!
あわせたら千人越えの団体旅行は かなりなものでした
この団体さんの宿泊費は 沿道の大名の負担です
移動用の馬も 八千~九千頭 人足も一万ほど必要なので
片道 十万両の費用がかかったということです
なんでこんなに 大がかりなのー?と思うでしょうが
朝鮮を代表してくる「通信使」は 一人一人が優れた文人や絵師
そして医師や 工芸師だったんですねー
だから 日本としては いくら費用がかかっても メリットはあったんです
大坂や江戸はもちろんのこと 宿泊先になった所には
各地の文人らが 訪ねてきて盛んに交流したということです
林羅山や 新井白石などの有名人もやって来て
サインもらったりしてるんですよ
各地のお寺などに残っている寺宝の中には
「通信使」が残していったものも多くあります
たった200年前には こんなに仲がよかったのにねぇ・・・
この時のように お互い「尊敬」を持って 付き合える日が
またやってくるといいですね
[PR]

by tukitodoraneko | 2007-10-02 08:30 | 江戸のあれこれ

<< 苔むした墓 鍋島「化け猫」騒動の真実 >>