江戸のパンク野郎

「かぶき者」に関して ちょっと書いてみます
慶長年間から 寛永・正保・寛文の頃まで
町中では 傾いた(かぶいた)=普通じゃない・勝手気ままな
若者によるケンカの絶えない時代でした
家康がまだ将軍になってない1590年代から
4代・家綱の頃まで 約70年に及びます
一口に「傾きもの」といっても この間にはいろいろと変遷があるんですね
f0122653_1156063.jpg←最初の頃はこんな感じ 
イメージがちょっとちがいますね
「歌舞伎」の方のお国の姿と混同されて 
もっと華美でぞろっとした着物すがたで
胸にクルスなんかつけた「伊達男」と思うでしょうが 実際は ふんどし丸出しの 暴れん坊です
そのかわり ふんどしにおしゃれしてますよ ほとんどが紅絹(もみ)という高価な絹の下着です
f0122653_12153022.jpgこの時代も「下着に凝る」のが おしゃれさんだったのね
←アップの彼は 赤さやの大太刀で 目立ってます
鞘には金文字で 「生き過ぎたりや 廿三 八幡 ひけはとるまい」と かいてあります
ちょっと暴走族の「夜露死苦!喧嘩上等!」みたいですね
初期の「かぶき者」は 戦国期が終わって 出世の夢を失った若者や 改易つづきで浪人化した者たちでした
髪も月代(さかやき)を剃らず 立て髪というリーゼントみたいな髪型です
時代がうつると これに「奴」風というのが加わったり
湯女風呂の流行「丹前」風なんてのが主流になったりと
うつり変わりはありますが 基本 「不良」スタイルです
お国の傾き方とくらべると ロックにしたらビジュアル系とパンク
ぐらいの違いがありましたよ
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by tukitodoraneko | 2007-09-30 12:48 | 江戸のあれこれ

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