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徳川にたたる妖刀「村正」

今日は徳川家にまつわる伝説のひとつについて書いてみます
ことの始まりは 家康のおじいちゃん 松平清康の時代
天文4年(1535)ころのこと
清康は 織田信長の父・信秀と対立 
7千の軍勢を率いて 守山に布陣します
そこで 譜代の重臣・安部定吉が織田に内通している!という噂がたちます
定吉は息子の弥七郎を呼び 起請文を渡し
 自分に何かあったら これで疑いをはらしてくれ
と 頼み 無実を誓いました
その後 間の悪いことに 清康の本陣近くで一頭の馬が暴れだすんです
 「取り押さえよ!」と言う 清康の声を聞いた弥七郎
父親のことと勘違いして 本陣へ駆け込み
主君・清康を 一刀のもとに切り殺してしまいます
徳川にたたる妖刀「村正」_f0122653_837046.jpgこの時の刀が 名刀「村正」
そして次は家康の父 松平広忠
やはり家臣の岩松八弥に殺されますが
この時の刀も「村正」だったんですねー
2代に渡って「村正」で討たれたため
この後 「村正」は松平から徳川にたたる 妖刀あつかい
家康の長男 信康も「村正」で介錯されたと言われてます
もう一つ こんなエピソードも・・・・
関が原の合戦で 織田長孝(有楽斎の息子・信長の甥)が
西軍の勇・戸田重政のかぶとを槍で突き通したんです
それを聞いた 家康が 「どれ ちょっと見せて」と 槍に触れると
家康の指先から タラタラと血がしたたり 槍の穂先に吸い込まれて行くかのよう・・・
 「・・・・この槍は 村正であろう・・・」  家康は一言 そういいました
この後 村正の伝説を聞いた織田長孝は
 「奉公に使えぬ槍など 何になろう」と
この槍を 粉々に砕いてしまったと言います
これ以降 「村正」は徳川家のタブーになってしまいます
この刀を鍛えた村正自身も謎が多く はっきりとしたことは伝わっていません
一説には 美濃(岐阜)の人で1400年代半ばころ
桑名に住んだと言われていますね
4代目が慶長から寛永(1596~1643)の人です
この妖刀の噂は広く知られ そのため「村正」の銘は消されたり
改ざんされたりと 散々な扱いを受けます
「村忠」だの「村宗」なんて 変えられる場合もあったようです
幕末になると 倒幕の志士たちが 「徳川退治」のため 好んで持つようになり
  村正は 闇討ちにする道具なり
なんて 川柳もあったといいますよ

by tukitodoraneko | 2007-09-25 09:22 | 江戸のあれこれ

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