胎盤にも葵の御紋が!

2代 秀忠将軍が誕生した1605年
家康の11男たちは どうなっていたのかまとめて見ましょう
長男 信康      母 築山殿    1559~1579 信長の命で自刃 享年 21
次男 秀康(結城)   お万の方    1574~1607 2年後 病死
三男 秀忠        西郷局     1579~1632 2代 将軍 
四男 忠吉         〃       1580~1607 2年後 病死
五男 信吉(武田)   下山の方    1583~1603 病死        享年 21
六男 忠輝        お茶阿の方  1592~1683
七男 松千代        〃        幼逝
八男 仙千代       お亀の方     幼逝
九男 義直         〃      1600~1650
十男 頼宣        お万の方   1602~1671
十一男 頼房        〃      1603~1661

こうやって並べてみると すごいですね
長男と11男の年の差は 44才 まるで孫です
末っ子は 家康63才の時の子なんですねー
そして たくさんいた家康の息子たちも 長生きしたのは
秀忠以外 問題児・忠輝と 御三家を立てた末の3人だけ
次男を生んだお万の方と 10,11男を生んだ人は別人です
家康の側室は 名前が同じだったり 似通っていて とても分かりにくいですね
忠輝と7男を 双子で生んだというお茶阿の方は 阿茶の局とは別人です
阿茶の局は 子供はできなかったけど 家康のお気に入りで
戦場にも連れて行ったし 様々な使者にもなって活躍した人ですよ
この二人は時々 時代小説でも混同されてることがあります
お茶阿の方のほうは 鍛冶師の未亡人で子連れの美人
夫が殺されたことを 鷹狩に来た家康に直訴して
そのまま 後室に入っちゃったんですね 
美人だったというわりには 生まれた忠輝は「鬼っ子」でした
次男・秀康を生んだお万の方には 浮気疑惑もあったんですよ
f0122653_15616100.jpg「玉輿記」という本の中に 子供の父親が疑わしいというんで
胞衣(えな)=胎盤の紋を 確かめたら「葵の紋」がついていたということで やっと認知されたと書いてあります
おかしな迷信ですが この頃は胎盤に父方の紋が付いていると信じられてたんですよ
だから へその緒と同じでとても大切にされました
胞衣は塗り物の入れ物に収め できるだけ人通りが多い所に埋めます
多くの人に踏まれると 丈夫に育つと信じられてました
でも 「胞衣」を最初に踏んだ人は 一生その胞衣の持ち主に
嫌われるという言い伝えも有りますよ
一生 貧乏暮らしの人は 「俺の胞衣を最初に踏んだのは金持ちだ」
なんて 逆説的に言ったりしました
加賀屋敷の発掘現場からも 玄関まえだったところから
「胞衣皿」(えなざら)が 出てきていますよ
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by tukitodoraneko | 2007-09-24 15:18 | 江戸のあれこれ

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