ミゲルの謎の後半生

1604年 家光の生まれたこの年
ルソン国王の使者がやって来て 家康にあっています
「ルソン」というのは 今のフィリピンです
この頃は スペイン領ですから もちろん国王もスペイン人ですね
この使者は 例のごとく「キリスト教布教」の許可を求めてきています
ここで しばらく忘れていた「キリスト教」関係の動静 まとめてみましょう
まず「天正少年使節団」のその後
彼らは1590年に帰国して 聚楽第で秀吉と会いましたね
その後 天草のノビシアード(修練院)に入り 勉学を続け
1593年には 4人そろって正式にイエズス会に入会してます
ここまでの行動は4人とも ほとんど一緒です
ここから それぞれの運命は 少しずつずれていくんですね
この後 秀吉の「伴天連禁止令」 京での弾圧 長崎での処刑
いろいろあって 98年に「秀吉死亡」
その後は また戦国に戻ったかのような無政府状態ですから
かえって 伴天連や信者たちにとっては「つかの間の休息」状態
しかし 後援者だった高山左近は 今や金沢に潜伏中
小西行長も「関が原」で 処刑されちゃいましたね
あの几帳面な記録魔 ルイス・フロイスも97年 65才で長崎にて死去
そんな中 1601年に少年たちは さらなる高等教育を受けるため
マカオに出国しました 伊東マンショ 中浦ジュリアン 原マルティノの3人です
f0122653_1421399.gif残る一人 千々石ミゲルは この時すでに キリスト教から離れていました
この間の事情は全く分からず ただミゲルはこの時点で「清左衛門」と名乗っていて
その後 結婚もして長崎に住んだということです
1610年頃の記述によると「少しく伴天連を恨むる風にて・・」
と書いてありますが くわしい事は分かっていません
この後は キリスト教の迫害者からも 「元信者」ということで異端あつかいされ
また擁護者の側からは 「棄教者」ということで迫害され
苦難の後半生だったようです
1622年ころの記録で 「雑草のように」 「異端者として」
長崎で生活している・・というのを最後に その消息は絶えています
つい最近になって その墓が発見されたとかで 話題になりました
墓だけではなく 彼の生涯のなぞの部分が少しでも
分かるといいんですが・・・
ミゲルの謎は 「島原の乱」にも関係していきますよ
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by tukitodoraneko | 2007-09-22 13:59 | 江戸のあれこれ

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