家康 トップ・オブ・サムライに!

慶長7年(1602) 10月に一度 江戸に戻った家康
11月にはまた伏見へ戻り 1603年のお正月もまたこちらです
この年 秀吉の死から5年がたち 家康62才 秀頼はまだ11才
家康は2月に入ってから ようやく大坂城に新年の挨拶に行ってます
家康の方から 秀頼のもとへ出向くのは これが最後になりましたよ
というのも2月12日 朝廷から「家康を征夷大将軍にする」という
宣旨が下りたんです ジャジャ-ン!
f0122653_10303397.jpg家康はこの宣旨をできたばかりの二条城で受けています
このために急いで造ったんですねー
「征夷大将軍」と言うのは 読んで字のごとく
朝廷が臨時に派遣した「蝦夷征討軍」の総指揮官
それが源頼朝以来 武家の棟梁 つまり
トップ・オブ・サムライを意味するようになりました
これで家康は名実ともに 豊臣家を抜いて
ナンバー1となったわけです
そして 頼朝が鎌倉幕府を築いたように 家康も江戸に幕府を開くことが
できるようになったんですね
これから江戸の町はバンバン変貌をとげていきます
これまで譜代の家臣だけで 頑張っていた工事が
これからは「天下普請」で できるんですから!
 あ、君 そこんとこやっといて 君は石垣たのむね OK?
てなもんです
江戸の象徴「日本橋」も この年にできています
しかし!おもしろくないのは もちろん豊臣サイド
これをなだめる為に 家康は前から約束してた千姫を
秀頼に嫁がせました この時 千姫7才です
母親同士が姉妹なので いとこ同士の結婚になりますね
もちろん そんなことでごまかされるわけもないんですが
もう 家康に対して 面と向かってたてつける人間はいなかったんです
たてついた人間がどうなるか みんな「関が原」で身に沁みてたんでしょう
それともう一つ 豊臣側は「秀頼が大きくなったら 政権はかえすでしょ?」
という ヒジョーに甘~い期待もあったのだと思います
残念ながらその期待は 2年後 シンキロウのように
はかなく消えてしまいますが・・・・
[PR]

by tukitodoraneko | 2007-09-20 11:26 | 江戸のあれこれ

<< 「春日の局」は重罪人? 15才の出産 >>