15才の出産

1601年10月 家康は久しぶりに江戸に戻ります
1602年のお正月は 江戸で迎えましたよ
この時初めて 加賀前田家が江戸に参勤にやってきました
秀忠は板橋までお迎えに出ています
江戸には母・芳春院もいたし 秀忠の娘・珠姫ももらったばかりだし
そのお礼のご挨拶ってところでしょう
でも家康はのんびりしてるひまもなく 19日にはまた伏見へトンボ帰り
忙しいですねー というのも島津の処分もあるし 5月からは
二条城の建築が始まります 伏見城の修築もしないといけないしね
島津の方は初め「征討」しちゃえ!という意志もあったんですが
戦後のどさくさにまぎれ 簡単に落とせる相手でもないし・・・
ってことで 結局うやむやのまま お咎めなし
謝りにこいと言われても のらりくらり逃げてた島津のねばり勝ちってやつ
f0122653_13215976.jpgこの年 予想外の事が一つ
家康の生母・於大の方(おだいのかた)が
8月 伏見で亡くなりました
←伝通院どのですね
この方は三河(愛知県)刈谷城主・水野忠政の娘
家康の父 岡崎城主・松平広忠に嫁ぎ
翌年天文11年(1542)12月16日 家康 誕生!
この時 父・広忠は17才 お大は15才
今なら 高校二年生のパパと中三のママです
現代なら「ドラマ」になっちゃうくらい大騒ぎですが
当時は こんなのあったりまえ?
でも若年出産にはちがいないんですが
幸い 家康は丈夫な子で 元気に育ちました
しかし!この若夫婦には 苦難の道が待ってたんですねー
お大の父・水野家が織田方に接近したため 怒った今川家から
お大を離縁するよう 迫られるのです
お大は 幼い家康を手放し 泣く泣く岡崎を去っていきました・・・
これから 家康の流転の「人質生活」も始まるんですね
6才から19才まで 織田がた 今川がたを転々
その間に 父・広忠も近臣に殺されてしまいます
 如何におわすやら そなたの身の上が不憫にてそうろう・・・
そんな せつないお大の方の手紙が残っています
でも お大はこの後 久松定勝と再婚
定勝が亡くなるまでに 三人の息子をつくりました
家康の異父弟ですね この弟たちは家康から「松平」姓を許されています
「関が原」のとき 江戸留守居をしてた松平康元が その一人ですよ
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by tukitodoraneko | 2007-09-19 13:48 | 江戸のあれこれ

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