珠姫 3才で前田家に嫁ぐ

1601年8月 家康は「京都所司代」として板倉勝重を置きます
いつまでも ここに居座ってるわけじゃないよという意思表示ですね
毛利輝元が送ってきた人質(息子・秀就)も 江戸に送りました
そして9月には なんと秀忠の次女・子々姫(3才)を
加賀前田の利常に嫁がせます
利常は現・利長の弟ですが 子の無い利長の養子になっていました
次期 藩主だったわけです
それにしても3才の孫娘を 金沢に嫁に出した家康
苦肉の策ってやつです
f0122653_1265562.jpg子々姫の母・お江与の方は 織田信長の妹・お市の方が生んだ三姉妹の末っ子
長女は秀頼の母で 大坂に君臨する淀君ですね
1595年 秀忠とお江与は 秀吉の意向で結婚
お江与はなんと4度目の結婚だったということです
いかに戦国の政略結婚とはいえ すごいですね
対する秀忠は 初婚で年下 気の強い年上妻のいいなりです
この時までに3人の娘ができてました
長女・千姫は 生まれたときから秀頼の婚約者
三女・勝姫は生まれたばっかり
しかたなく3才の子々(この後 珠姫)がお嫁に出されたんですね
この後もお江与は 4女・初姫 そして待望の男子 家光と忠長
5女・和子(のち天皇家に嫁ぎ 明正天皇を生みます)まで2男5女
この時代としたら かなり高齢出産でしたよ
家光がよく「次男」とかかれていることがありますが
実は お江与の長男というだけで 秀忠には名前も伝わらない女性との間に
「長丸」という息子が この年に生まれていたんです
この子は 「お灸のせいで」!?2年後に亡くなります
なんだか怖いですねー
みーんなそう思ったんでしょう 次の浮気で出来た男の子は
母親・お静の方と共に こっそり逃がし 家光の代になるまで隠されてました
この時 生まれた子が保科正之 後の会津藩主ですね
さて 珠姫ですが 前田家ではこの幼い姫君をとても大事にし
夫婦仲もよく 夫・利常が参勤で江戸に出ると 珠姫は
 もう!さみしいから 早くかえしてねっ!
と 将軍家に手紙を出し このため加賀侯はいつも2,3ヶ月で国にUターンしてたそうです 
加賀の城下町が 京都同様に華やかに開けたのは
このさみしがりでかわいいお姫様のおかげと言われてますよ
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by tukitodoraneko | 2007-09-18 12:09 | 江戸のあれこれ

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