「おあむ物語」は日本のスパルタ

島津軍の逃走を最後に 「関が原」は終結
追撃した井伊直政・忠吉チームも 3時頃には戻ってきます
直政はこの追撃で受けた傷が やがて命にかかわることになりますが
まだまだ この時は元気で「佐和山攻め」にも同行しますよ
宇喜多秀家と裏切り4部隊は 懲罰の意味で三成の大事な
「佐和山」を攻め落とす任に着いたのでした
1万5千の大軍にかこまれ 三成の兄・父と共に
佐和山城は最後を迎えました
石田一族は 家臣までもが自刃し 女たちも前の谷に飛び込んで自害
やがてこの谷は「女郎谷」 飛び降りた石垣は「女郎落ち」と呼ばれます
とにかく石田の血筋は 徹底的に絶やされたんですね
この後 幕府の機構が整うと 村ごとに「戸籍」の書き上げを
提出するように義務付けられますが この書類の最後には必ず
 尚、石田の縁類 一人もこれ無く候・・・・
という一文が付け加えられていたということです
f0122653_1172310.jpgもう一つ 同日に開城されたのが←大垣城です
関が原に集結する前 西軍の基地となったこの城
東に取り残された感じになってましたが
この城中に「おあむ」という 13才くらいの女の子がいたんですね
彼女は年老い「お庵さま」と呼ばれ 子供達に大垣の思い出話を語ります
その子供達のうち 一人の子が年老いてから その話を思い出し 書き残したのが 「おあむ物語」です
たぶん 関が原から100年くらい立っていたかもしれません
おあむの父は 山田去歴という軽い身分の侍だったようです
「冶部どの ご謀反のとき・・・」とかいてますんで「関が原」の時でしょう
冶部どのは石田三成のことです
この時 おあむは家族と共に 大垣城中に逃げ込んでいました
女たちは 天主で鉄砲の弾を作ったり 味方の取った首にお歯黒を塗ったり
と 結構やることはたくさんあったようです
雑兵の首に薄化粧やお歯黒をして 身分の高い武士に見せかけるということは
この時代 普通にやってたんですねー
でも その首に囲まれて 天主で寝起きしてたといいますから
ホント この時代の女性はタフ!
おあむの父は 昔家康に手習いを教えた縁で 落城の前日
一家数人で こっそりと城から脱出する事が出来ました
しかし堀を越えたところで なんとおあむの母が産気づき
堀から数百メートルのところで 出産してます
すごいですねー 母はホント強いです
そんな強い女がいたと言う証拠の意味でも「おあむ物語」
読むと力がつきます  ガンバレ!自分!ッて感じ
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by tukitodoraneko | 2007-09-14 11:45 | 江戸のあれこれ

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