有楽斎の生涯一度

戦闘開始が午前8時ころ
2時間後も激しい戦闘は続いていました
この時 西軍の9万ほどの戦闘員のうち
実際戦っていたのは 3万5千ほど
それを考えると かなりな善戦ですよね
家康も かなりイライラしてたようです
乱戦の中 一人の侍が馬に乗ったまま 家康のまん前に飛び出し
「しまった!」という顔をして 逃げていきました
家康はプッツンして 小姓の持ってた旗指物を 一刀のもとに切り捨ててます
ここで 桃配山はちょっと後ろすぎるだろ と本隊を前線に進めてますね
多分この時点で家康は 背後の毛利軍は動かないと 確信したんでしょう
内通してた吉川広家は 毛利軍の最前部に布陣して
なんとしても 動かせないように頑張ってましたしね
毛利への押さえに置いといた山内一豊や有馬軍を前線に投入してます
前線では 島左近を早い時点で失った三成軍はかなり苦戦
そのかわりに 明石全登ひきいる宇喜多軍はすごかった!
福島隊の猛攻を一手に支えるだけじゃなく
何度もこれを押し返して 戦場に勝どきを響かせました
これに反して あまりにもろかったのが小西行長隊
f0122653_11285074.jpg←織田有楽斎を含む連合軍と戦っていたんですが
有楽斎はここで 生涯ただ一度の「武辺のてがら」を上げてますよ
有楽斎=織田長益は信長の13才下の弟(異母兄弟ですが)
本能寺の変のとき 味方をも欺いて逃げ出したんで
 織田の源吾(有楽斎)は 人ではないよ
と 京では唄にうたわれるほど 
初めは 何の楽しみも無いー無楽と名乗ってましたが
哀れに思った秀吉が 有楽斎(うらくさい)と変えたんですね
この有楽斎が 東軍に参加して「茶せん」を持つ手に刀をとって
家人の助けがあったとはいえ 敵の首級を上げるんです(首をとったのね)
これには 家康も驚いて からかい混じりに
 高名 召されたな(名を上げたねっ!てこと)
と 声をかけると 「年寄りには 似合わざること・・・」なんて言って
ちょっと照れています
そんな有楽斎の活躍もあってか だいたい11時前後には
小西行長隊は前陣をやぶられ 本隊も敗走に移ってしまいます
関が原で最も早い 「戦線離脱」ですね
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by tukitodoraneko | 2007-09-11 11:56 | 江戸のあれこれ

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