デマに踊る人々

一大決戦「THE関が原」まで もう何日もなくなりました
それまでの動きで 重要なのは・・・っと
北陸方面ですかね 母・芳春院を人質に出した前田利長
f0122653_11293215.jpg彼は加賀・金沢城 別名尾山城の城主
家康の姦策にかかって とにかく「お家大事」で 東軍に属しました
この方面には 越前・敦賀に大谷吉継がいますんで
その回りの城は 吉継の誘いを受け
西軍ばっかりでした
加賀・小松城主 丹羽長重や大聖寺城主 山口宗永などですね
その中前田軍は7月26日には出陣しますが
すぐ南の小松城が 3千の兵で守っているうえ
周囲が泥沼で ヒジョーに攻めにくい というのがあって
これをほっといて もっと南の大聖寺城を先に攻めたんです
こちらは数日で落ち 宗永は自刃
そのまま南下して 越前まで攻め入ろうとしていた矢先
不穏な情報が入ってきました
大谷吉継の大軍が 海路 金沢に向かったというんです
 ドッヒャー!やばいじゃん!
大慌てで帰国しようとしますが こうなると怖いのが
行きにほったらかして通過した小松城の丹羽軍
まさに 行きはよいよい 帰りは怖い「とおりゃんせ」状態
仕方なく2隊に別れ 本隊は小松城を大迂回して金沢へ
けん制役の別働隊は 浅井なわてで丹羽軍とぶつかり
結構なダメージ受けました
結局 策士・大谷吉継の流したデマだったんですがね
このため 再度 前田軍が出陣したのは9月12日
「関が原」には 間に合わなかったわけです
三成の佐和山と同じで 利長には金沢がネックだったのねー
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by tukitodoraneko | 2007-09-04 12:17 | 江戸のあれこれ

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