芸は身を助けた細川パパ

もう一つ 西軍の1万5千あまりの兵を足止めしたのが
細川幽斎が 立てこもった田辺城です
f0122653_10283467.jpg息子の嫁おたま=ガラシャは死ぬは
息子は家康と共に会津へ行ってるは
田辺城には幽斎と500の留守番がいただけ
それが なんでこんなに持ったのかというと
幽斎は「古今伝授」の先生だったから
古今伝授というのは「古今和歌集」の秘伝を
伝えることで 幽斎はそれを受け継いだ歌道の達人だったんですね
攻める方にも 幽斎の門人が何人もいて
真剣に戦う気はなかったみたいです
天皇からも 「幽斎は無事だろうねっ!?古今伝授が絶えたら困るんだよっ!」
と うるさく言ってくるし そんなこんなでこっちもこう着状態
とうとう天皇の勅旨が来て 両軍をなだめ開城するのが
9月13日 奇しくも大津城と同じ頃です
だけど こちらの西軍兵も「関が原」には間に合わないんですねー
この二つの城で足止めした 合計三万の兵が
もし 「関が原」に加わっていたら・・・・
もしかしたら 戦局にかかわる事になったかも?

それにつけても「芸は身を助ける」典型みたいなお話です
わたしも江戸時代の年号なら 言えるんだけど
これはなんかの役に立つかしら?
「江戸の年号 全部言えたら助けてやるぜっ!」ていう
誘拐犯に出会うかもしれないんで 頑張って覚えていようと思います
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by tukitodoraneko | 2007-09-03 11:31 | 江戸のあれこれ

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