今も残る「血天井」

その頃 三成軍はなかなか落ちない伏見城に業を煮やし
とうとう 三成本人も佐和山から腰を上げ
伏見を大々的に攻め始めました これが7月29日
参加したのは 宇喜多・小早川・毛利・島津 合わせて4万の兵!
対して 城内は2千もいなかったでしょう
城兵は 死に物狂いの防戦でしたが 小早川軍の放った火矢で
城内の望楼が 火を噴きました
これを合図に 城の各所から火の手が上がり 大混乱に
そして 8月1日の朝 島津勢の猛攻で「名古屋丸」が落とされます
この時 松平家忠は槍をふるって突撃し
獅子奮迅の働きをしますが 多勢に無勢
とうとう力つきて 自刃してしまいます
家忠に従った8百の兵も 共に討ち死にしました
f0122653_11443485.jpg城将・鳥居元忠は わずか2百の兵と共に
最後まで奮戦を続け
城内が敵の大群で満ちあふれると 本丸へと退き
石壁を背に 敵が踏み込むのを待ちました
と言っても ほんの数瞬のことでしょう
この時 元忠は何をおもったことでしょう
 府内殿 城は落ちても 伏見は立派に
 お役目を果たしましたぞ!
一瞬の後には 本丸も敵兵で充満します
槍を構えた敵兵に囲まれると 元忠は
 「待たれい! 我は城将 鳥居元忠である!
  武将の最後 近くに見て 語りぐさにせい!」
と名乗りを上げ 見事に自刃して果てました
この最後の様子を聞き 島津義弘は
「あっぱれなる最期!」と称え
家康は うつむいて涙を隠したということです
 
現在 京都の東山区にある「養源院」
ここの正面・左右にある廊下は 伏見城の遺構を移したものです
中でも 天井は「元忠・自刃の跡」を残し 「血天井」と呼ばれています
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by tukitodoraneko | 2007-08-28 12:26 | 江戸のあれこれ

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