「神の恩寵」の名を持つ女

1600年の7月17日 この日はいろんなことが起こりました
まず 毛利輝元が「大将だぜ!」とばかりに大坂城に入り
家康の留守居衆を追い出して 西の丸を占拠
息子・秀就を本丸の秀頼のもとに すかさず配置
そして3奉行の連署で 会津へ行ってる諸大名に宛てて
公然と家康に対する「弾劾状」 そして「西軍につくでしょ?」という
お誘いの手紙を出してます
三成は強気でしたよ 毛利家は味方についたし 豊臣秀頼はこっちのもの 
何より 諸大名の家族は大坂にいましたからね
ところがこの人質作戦 思わぬ逆効果になってしまいます
大坂城内に収監しようとすると ほとんどが各留守居役の機転で 逃げ延びた後・・・
細川家では 忠興の妻・おたまが「人質になるくらいなら・・・」と
死を選んでしまいます
f0122653_13171880.jpgキリシタンで有名な細川ガラシャ夫人ですね
明智光秀の娘として生まれ 信長のすすめで
細川忠興と結婚しますが 「本能寺の変」で非常にむずかしい立場になってしまいます
おたまを溺愛している忠興は離縁もできず 丹後・味土野(京都府・弥栄町)に隔離、幽閉してしまうんです
2年後 秀吉のとりなしもあって大坂にもどり 後に父・忠興に徹底的に排斥される息子・興秋を生みます
どうも忠興という人は ちょっと偏執的なところがあったんでしょうか
細川屋敷ではしごから落ちた植木屋を
「うぬは 何に見とれた!?」と叫んで
一刀のもとに 切り捨てたというエピソードが有名です
ジェラシーってやつですか?
とにかく そんな忠興の態度に苦しんだおたまは
忠興が九州征討に行っている間に 大坂の教会で
洗礼を受け キリシタンになってしまうんですね
洗礼名 ガラシャ 「神の恩寵」という意味があります
彼女は三成の軍にかこまれると 屋敷に火を放ち
家老の小笠原少斎に胸をつかせ 潔い死を選びました
焼け跡を訪れて ガラシャの骨を拾ったのはオルガンティノ神父です
彼女の死は 「一婦人の勇気ある殉教」として
ヨーロッパにまで 喧伝されました
100年後には オペラにもなって貴婦人たちの涙を誘ったということです
オペラのタイトルは「気丈な貴婦人」
でも彼女は 気丈でも殉教したわけでもありません
この時代に 美貌と 謀反人の娘という宿命を持って生まれ
偏執的な夫に苦しんだ かよわい一人の女性だったと思います

彼女に 「神の恩寵」はあったのでしょうか?
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by tukitodoraneko | 2007-08-23 14:06 | 江戸のあれこれ

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