自分の未来は占えない

大谷吉継が 決心して佐和山へ戻ってみると
そこには僧体の一人の男が・・・・・・
f0122653_1073441.jpg安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)ですねー
関が原の後 三成 小西行長とともに 京・六条河原で斬首になったのは 学校で習いましたか?
え?なんで坊主が?と 思いませんでしたか
この頃の僧侶は 今で言えばマルチな文化人
まして僧体だと 疑いをもたれず行き来ができます
だからこの時代 大名の軍事顧問や折衝役に 僧侶が活躍してたんですね
家康も幕府を開いてからは金地院崇伝や天海を重用してます
恵瓊は大大名・毛利家の外交官・軍事顧問でした
もとは甲斐・武田と同族の安芸・武田氏の出身だそうです
同族間の争いで父親が自刃すると 5,6才だった恵瓊は
武田の菩提寺・安国寺に逃げ込みます
ここでメキメキと頭角を現し 32才で住職になっています
一つ おもしろいエピソードがありますよ
織田信長が全盛の頃 恵瓊は「今をときめく」信長に対し
こんな 「予言」をしたんです
 あの者は数年の後 高ころびに 仰のけに転ばれ候・・・
高いところから落っこちて 仰向けにのびちまうだろうよ
と 言っていたそうです  実現しましたね
ところが 自分の運命は見えなかったのか
毛利家を西軍の大将に引きずり出し 衰退へ導いてしまったうえ
自分も3ヶ月後には 3尺高い板の上で さらし首になろうとは
さすがの恵瓊も 想像さえできなかったのでありました!
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by tukitodoraneko | 2007-08-21 10:59 | 江戸のあれこれ

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