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伏見城 別れの宴

「関が原」まであと3ヶ月の1600年6月
とうとう「会津征討」が始まりますよ
第一陣は東北方面の大名たち 伊達政宗・佐竹義宣・最上義光
彼らは16日には 領国へむけて伏見を発ちました
その前日には家康はちゃんと 秀頼に挨拶し
あくまでも「秀頼さま」のため 言う事きかない上杉を討つ
というかたちを整えてます ぬかりないですね
この時 秀頼は家康に黄金二万両と米二万石を送ってます
これで「大義名分」も立ちましたねー
家康も大坂を発ち 伏見城に入ります
伏見城 別れの宴_f0122653_10401319.jpg「伏見 別れの宴」です
ここで家康は 伏見城に残るメンバーを発表
鳥居元忠 松平家忠 内藤家長 たちです
なかでも 鳥居元忠は家康が「竹千代」の頃から 
いっしょに今川の人質に行った仲
伏見に残るということは 三成の標的になること
つまり「おとり」だったんですね
家康は16日にここに来て 2泊しています
旅立ちの朝 兵力をもっと残して行こうとした家康に
 無用なことでござる・・・
と 元忠は言いました
 当城は 一たび敵に囲まれれば 近国にお味方も無く
 たとえ 今の五倍、十倍の手勢にても守りきれぬことは必定
 これ以上の増員は 無益な殺生でござります・・・・
全て分かっていて 討ち死にするために残る人々
さすがの家康も ゆるせ と言ったまま 次の言葉が出なかったそうです
せつないですね
死を覚悟した人たちと その人たちが死ぬと分かっていて
残していかなければならない人々との 「別れの宴」
せめて 華やかで楽しいひとときであったことを 祈りたいです

by tukitodoraneko | 2007-08-18 11:04 | 江戸のあれこれ

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