家康 大坂城へ!

上杉景勝が会津に到着したのは 8月10日
「無事 着いたよー」という手紙に対し
家康も「OK こっちも何事もないよー」と 返信してます
この頃 大名たちはぞくぞく 領地へ戻り始めました
その中で 島津だけが義久の娘を 秀頼に人質として差し出しています
 最近どうも 家康寄りじゃない? という疑いがあったんでしょうね
f0122653_1022970.jpg家康は 三成も前田もいなくなった大坂にうつりました 初めは佐和山に去った石田正澄(正成の兄)邸にいたんですが 北の政所・ねねが 私 京都に移るから・・って言うんで 9月26,7日あたりには 大坂城西の丸に入っています
この後 家康襲撃計画の時 名前があがった三人
浅野長政・大野治長・土方雄久に お仕置きです
長政は武蔵府中で謹慎 大野は結城秀康にお預け 土方は常陸の佐竹にお預け
嫌疑をかけられただけの細川忠興も 三男を江戸に人質に出しました (↑豊臣大坂城の復元図ですよ)
これで 5奉行も3人を残すだけ
5大老も毛利と宇喜多の小せがれの二人です
大坂は 着々と家康ひとり天下になってきましたよ
そして 11月20日付けの戸沢政盛の手紙が
会津・上杉の動向を知らせてきました!
 手紙届いたよ そちらの様子 ねらい通りだね
ニタリと笑いながら お返事書いてる家康の姿 目に浮かびますね
上杉方は まだたいした事してるわけじゃありません
新任の領主が 初めて領地に入った時 普通にやる事
やってただけなんですがねー
これが 翌年の「関が原」への序曲になっていきますよ 
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by tukitodoraneko | 2007-08-15 10:25 | 江戸のあれこれ

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