宇喜多家の事情

この頃 島津同様 もう一つの「お家騒動」がありました
f0122653_11163533.jpgこちらは「宇喜多騒動」 宇喜多秀家の家内の内紛です
秀家は 備前岡山の城主・宇喜多直家の次男
に産まれ 8才の時 秀吉のもとへ人質として
送られました
秀家は幼い時から 美童で評判
女好きの秀吉は なんと秀家の母に関心があったようで 
翌年 父・直家が死ぬと 美人で有名なこの奥さんに手を出しちゃうんですよ
その翌年に信長が 本能寺で死ぬと 秀家を正式に養子にします
秀吉にはたくさんの養子がいましたが 秀家を一番可愛がったという説もあります
母親の面影の強い秀家が かわいかったんでしょうね
そんな秀吉の下 秀家はトントン拍子に出世して 15才で「備前宰相」と呼ばれてます
お寺でお茶だしてた三成とは 雲泥の差
18才では秀吉夫婦のお気に入りの養女 加賀前田の豪姫と結婚しています
実子・秀頼が生まれて以来 自刃させられた秀次や
転々と養子に出された小早川秀秋とは違い
初めから 豊臣家の相続権を持たなかった秀家は
運が良かったと 言えるかも
秀吉の死後にも 27才という異例の若さで五大老になってます
ただ 可愛がられた二代目の欠点は 「苦労知らず」
秀吉の死後 すぐに家臣の間で起こった内紛も
なあなあで治める器量が無く 家康に口をはさむすきを与えてしまいます
宇喜多家はもともと日蓮宗の多いお家柄
それで キリシタンの家臣との対立があったとも言われてます
この時 父の代からの重臣が出て行ってしまい
家康方に着いてしまうんですねー
秀家のいとこ 宇喜多詮家もその一人
「関が原」では東軍で戦い 戦後 家康から「宇喜多」の姓はまずいんじゃない?
といわれて 「坂崎直盛」と名前をかえています
そう 後に「千姫強奪計画」を 起こす人ですね
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by tukitodoraneko | 2007-08-13 12:09 | 江戸のあれこれ

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