たぬきにばかされた「島津侯」

前田利家の死の前後 もう一つの事件が進行していました
薩摩・島津家のお家騒動とも言うべきこの事件
これが「関が原」での有名な「島津の後進」に繋がります
当時の島津家は当主・義久 その下に義弘・歳久・家久と
4人の勇猛な兄弟がいたんですね
f0122653_12513839.jpg←「関が原」で 敵中突破したのは次男・義弘です
島津家は 秀吉の「九州征討」の時 
一度「お家断絶の危機」に直面してます
この時 和平工作にあたって断絶を防ぎ 秀吉にも気に入られたのが 伊集院忠棟 
庄内8万石を領するほどの大出世でした
ところがこの頃になると主家を主家とも思わぬ傲慢な態度
京都での屋敷は主家を見下ろす高台にあったと言います
そして秀吉の宴会で 忠棟の子と義弘の子が衝突!
お互い家に帰ってパパに言いつけたんで もう険悪な状態でした
そんな時にまた 石田三成を通じて
「伊集院方が島津の内政を牛耳る4男・家久を暗殺しようとしている」
という情報が入るんです
これを聞くと 家久は忠棟を「話がある」と 京都・自邸の茶室に招きます
慶長4年(1599) 3月9日 前田利家死去の一月ほど前のことです
家久は 始終笑みを絶やさず茶をふるまうと 忠棟を送って外へ出ます
その時!家久の後ろに従っていた小姓が スッと身をかがめ
茶室の縁の下から取り出したのは 家久の刀!
忠棟は 背後から袈裟懸けに切り下ろされて その場で絶命
玄関脇で待っていた供の者には 櫃に入った主人の遺体が渡されたのでした
この直後 家久の屋敷は 武装した兵士の一団に囲まれます
家臣の者が 問いただすと
 ご安心召されい!我らは井伊直政の手の者
 家康公より命じられ 当家のおもてを警護つかまつる!
うーん・・・やるもんですねー たぬき親父!
この後も 他の大名に非難され高尾寺に謹慎させられた家久を
前田利家の死後 助け出し 伏見の屋敷まで送り届けたのも家康
国元で始まった島津VS伊集院の全面戦争を
島津有利に丸く治めたのも 家康でした
秀吉に匹敵するくらいの「恩」を 家康は島津家に売っといたわけです

うーん・・・・やるもんだ!
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by tukitodoraneko | 2007-08-12 13:37 | 江戸のあれこれ

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