大坂のアブナイ一夜

12月 やっと朝鮮からの引き上げを済ませて帰ってみると
家康は外様や豊臣方と すっかり「ご親戚」状態
 き、君は 何しとるんかね!みんなで決めた事
 やぶっちゃダメでしょーよ!
三成 いくら怒っても 嫁いだものを返せとも言えず
 このたぬき親父!いっぺん 〆たろか!
この時から いづれぶつかる二人でしたよ
年が明けると 秀吉の死とその遺言が知らされます
その遺言どおり 秀頼と淀君は大坂城にうつり
前田利家が補佐をつとめ 家康は伏見城で政務を担当することになります
そして慶長4年(1599) 1月10日 秀頼一行は大坂へ
この時 家康もお供をして 大坂に向かっています
一大老としての供奉ということで 手兵を大勢引き連れていくことはできません
この時 事件が起こるんですよ
大坂で家康一行が泊まったのは 片桐且本の弟・貞隆の屋敷
この屋敷が 11日の夜中 襲撃されるんです
全員 取り逃がしたんで どこの手の者かは知れませんが
まあ 遊びに来たんじゃないことは確か
ここですばやく 伏見への引き上げを進言したのが 本多正信
f0122653_11251176.jpg←家康の知恵袋といわれたこの人です
襲撃直後に 家臣をとりまとめ 家康の駕籠には身代わりの家臣をのせ 家康自身は馬に乗って 従者の中に混じっての脱出でした
枚方に着いて 井伊直正の一隊に迎えられた時は 
さぞかしホッとしたことでしょう
さてこの正信 ちょっと変わった経歴の持ち主です
幕府初期の側近ですから さぞかし昔から家康に仕えていたんだと思うでしょうが
実は正則 一度家康とは敵対し 流浪の旅に出てるんですね
それは「三河一向一揆」の時 
この一揆は 家康の家臣を真っ二つに割っての大騒動
正信は一揆側について 一度は家康に弓を引いたんですねー
鎮圧後 家康は帰順したものは又 家臣にもどしたんですが
正信は 帰順したものの そのまま放浪の旅に
再び 家康のもとに戻るのは 20年後!でした
本能寺の変のあと 必死の脱出をはかる家康のもとに駆けつけて以来
三つ年上の正則は 家康のそばを片時も離れず
その才知と 決断力で家康の危機を払い続けました

この夜 大坂の家康を襲ったのは誰だったんでしょう?
それは また明日
 
[PR]

by tukitodoraneko | 2007-08-08 12:01 | 江戸のあれこれ

<< 過ぎたるは 及ばざるがごとし? 「家康」結婚相談所 >>