お茶三杯で落とした男

個性の強かった秀吉の死で その影にいた人々に
パアッと 光が当たったというか これから「関が原」に向けて
歴史は ドドーっと動き出しますねー
私の一番好きなあたりです 「THE 関が原!」
遣欧使節の4人は 1601年マカオに行くまで動きもないので
サイド・ストーリーってことで やってみますねー

秀吉は 病の床についてから 悩みのタネはわが子「秀頼」のこと
なんたって まだ6才の子供です
 この子に なんとしても天下を譲りたい!
という 親心で「五大老・五奉行」という制度を残しました
ちょっと 聞き覚えありますか?
五大老は 家康をはじめ 毛利輝元・前田利家・上杉景勝の外様チームと
秀吉の養子だった宇喜多秀家の5人
その下に 実務担当の五奉行 石田三成・浅野長政・増田永盛・長束正家・前田玄以
こちらは 一族や直参など 子飼い大名が多いですね
ともかくも この10人に 「どうか ひとつ!みんなで秀頼たのむネッ!」
と 言い残して 他界・・・
しかし どう考えても 秀頼に仕える義理なんてないぜ!っていうのが
外様の・・・いえいえ ほとんどの皆さんのホントのところ
特に 家康は遠い関東とはいえ 255万石の大大名
ぃよっしッ!!と ひそかに ガッツポーズとりましたよ
でも ここで秀頼=豊臣を直接つぶすのは まずいやり方
まだ 秀吉恩顧の大名たちが 結束を固めてしまう恐れあり だったんですねー
そこで考えたのが 石田三成 孤立作戦ですよ
f0122653_1192934.jpg←ちょっとぼんやりした感じですがこんな人です
この人が 秀吉に仕えるようになったきっかけは 「三椀の才」と言って有名なエピソードです
秀吉が長浜城主だった1574年 鷹狩の途中に喉がかわいて立ち寄ったのが 観音寺というお寺
その時お茶を出したのが 家が貧しくて寺小姓に出されていた15才の佐吉でした
佐吉はまず 大きな茶碗にぬるいお茶を入れて出すと 喉が渇いていた秀吉は 一気に飲み干しておかわり
次に 茶碗半分ほどのさっきより熱いお茶
これもすぐおかわりすると 小さな茶碗に舌が焼けるような熱いお茶を出しました
「実に見事な 茶の出し方!」っていうんで 
秀吉はその場で 佐吉を自分の小姓にしたんですねー
この人が いづれ「関が原」のきっかけになってしまうとは
運命のいたずら ってやつですか?


 
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by tukitodoraneko | 2007-08-03 11:37 | 江戸のあれこれ

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