23の殉教 3っつの生贄(いけにえ)

最初の本格的「キリシタン迫害」のきっかけになった「サン・フェリペ号の遭難」
1596年 10月のことです
スペイン国王と同じ名前のこの船 
フィリピン・マニラから ヌエバ・エスパーニャ(今のメキシコ)へ
植民地を結ぶ 太平洋路線の商船だったようです
商船といっても 大砲は装備してありますが
これが 台風のため 土佐の海岸に打ち上げられてしまいます
乗組員の中には 何人かの伴天連もいました
積荷は 全部 日本側に接収されてしまいます
これで スペイン人の航海長が 切れちゃったんですねー
彼は 大きな世界地図を広げて
 「スペインは こーんなにデカイ国なんだぞ!
  世界中に植民地があってなっ!すごいだろっ?
  伴天連が先に入って 軍隊の手引きするんだ 頭いいだろっ!?」
しゃべったら 頭よくないって・・・・・
この一言で 秀吉もプッツーン!
12月には あらたに「禁教令」を 出します
このころ みんな朝鮮や 九州名護屋城にいて 京はほったらかし
家康も 「江戸の町づくり」に精一杯
その間に 京の都ではスペイン系のフランシスコ会が派手に布教してました
秀吉は 京都奉行の石田三成に命じて 京・大坂のキリシタンを捕縛
f0122653_11253984.jpgこの時 捕らえられた24人は 
京都・一条戻り橋で 左の耳たぶを切り取られ 長崎へ送られます
この時 うるがん伴天連は 京に
潜伏していて
「切られた耳」を押し頂いて 
涙をこぼしたということです
最終的に 26人のキリシタンが 
長崎で磔になっています
中には 写真のように12と13、14才の3人の少年もいました

こんな時 とても残念に思います
「殉教」という言葉で美化されて 認められてしまう「子供の死」
弾圧側の野蛮さと 信仰の正当性ばかりが際立ち
崇敬さえ受ける 「子供達の殉教」
これは 弾圧した方だけじゃない 
そこにいた全ての大人の「罪」じゃないんですか
そして この「事件」を伝える者の責任ではないですか?
「幼いものの命」に代えられるものなんて 何一つないのに・・・
代えられるというなら それはもう「信仰」でも「神」でもない
ただの 「野蛮な迷信」です
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by tukitodoraneko | 2007-08-01 12:12 | 江戸のあれこれ

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