高山右近の周囲

この時代のキリシタンのことを書く時 高山右近は
避けて通れない存在なので もう少し追いかけてみましょう
右近の場合 キリシタンになったのは 12才の時
父・友照が ロレンソ・了斎の話を聞いて 家族ごと入信しました
友照は大名でもなく 貿易を望んでたわけでもないんで
単に キリシタンの教義に惹かれたんでしょう
右近父子は 戦国時代のならいで 何度も主家を変えています
松永→和田→荒木→織田→豊臣 って感じですね
父子は和田氏の嫡男が幼いのをいいことに 高槻城を乗っ取り
f0122653_9372234.jpg城主になっています この時 右近21才
←(現在の 高槻城址です)
けれど 戦国の下克上を地で行くような行動を取りながら 二人はいっそうキリシタンに傾倒していきます
城下に教会や信者が 増えていくのに反して
領内の寺社仏閣は打ち壊され 姿を消していきました
こうして和田氏を離れ 荒木村重の支配下に入るのですが この時また「事件」が起きます
荒木家が謀反の疑いをかけられ 信長に攻められるんですね
右近は 荒木家の有岡城に兄弟を人質に出してまで 説得に努めるのですが 聞き入れてもらえません
攻撃上 重要な位置にあった高槻城は 信長に目を付けられ こちらも大変なことに!
信長は伴天連うるがんさんを使って 投降しないと畿内の伴天連・キリシタンを皆殺しにするぞ と脅したんです
ここで 右近の取った行動がすごいんですよ
「徹底抗戦」派の父が止めるのも聞かず 手に一物も持たず
紙衣一枚で 城を出て 信長の前に立ち 恭順を示したんです
家族や家臣は たまったもんじゃありませんね
これが 原因で有岡城は 篭城の末 信長に落とされてしまいました
城主の荒木村重は 落城寸前に数騎の部下と逃亡し
残された家族と家臣は 皆殺しにされました
右近の方は 信長に高槻をあらためて安堵され 2万石から4万石に加増
もちろん 人質の家族も助かりました
それに比べ 荒木村重のその後は 悲惨なものでした
 「家族を見捨て 一人生き延びた自分は 道端の糞(くそ)のようなものだ」
と 「道糞」(どうふん)と名乗って 世捨て人のようになりました
信長の死後 「道薫」と改めて茶坊主として 秀吉に仕えましたが
「イエズス会日本年報」には 「妻子も家も捨て 坊主になった」と 書かれています

私にはほとんど 似たような行動に思えるのですが
この「違い」は 何なんでしょうね
右近の「意志」 「覚悟」ってやつですか?
疑り深く 残忍な信長さえ信じさせる「何かの資質」があったことは 確かなんでしょう
それはまた 周囲の人間に劣等感を与える種類の「資質」であったにちがいない
と 私には思えます
誰もが「あんなふうに出来たら」と思うことを 直情径行にやってしまう
右近に対して 人はあこがれと 劣等感と その「あやうさ」に対する
いとしさを 同時に感じていたんでしょうか
戦国の乱世を 武士とキリシタンという相反する両面を持ったまま
駆け抜けた「高山右近」
うーん・・・・理解を超えた存在です
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by tukitodoraneko | 2007-07-28 10:46 | 江戸のあれこれ

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