歴史のなかの「突然」

博多の豪商で 紙屋宗湛(そうたん)という人がいます
秀吉が「伴天連追放令」を出した時 箱崎の陣に一緒にいました
筆まめで日記を残してるこの人 本能寺の変の時も信長のそばにいたんです
そして燃え尽きるよりは・・・と 壁の掛け軸をはずして
2町(200m)ほど先の「南蛮寺」に 逃げ込みました
この時 「信長公に近侍していた黒人の弥助に導かれ・・」と書いています
初めて読んだ時は 「え!この時代 日本に黒人いたんだ!」
とびっくり!でしたが 伴天連が連れていたという記述もあり
どうやら 他の貢物といっしょに 信長に「献上」されたんでしょう
秀吉は 九州に行ってみて初めて「キリシタンの布教」と「南蛮貿易」
の実態に ふれたんですね
朝鮮出兵前後の九州の様子について 「近世日本国民史」の中に
こんな記述があります 「火薬一樽とひきかえに 泣き叫ぶ女たちを
 しばって南蛮船に放り込む 地獄のような光景だ」
この頃 火薬一樽に付き女50人という「相場」があったそうです
そして 海外に売られていった日本人は「50万」とも言われています
この実態は 「天正少年遣欧使節」の報告書にみられます
 「どこへ行っても 日本人の姿が見られる 女たちが鎖に繋がれ
  秘所を丸出しにもてあそばれ 奴隷の国にまで売られていく」
この記録を 残したのが誰かわかりませんが
一行の中には 白人や 同国人を売る日本人に対する憎悪で
信仰を離れる者も出たと書いてあります
もともと ヴァリニャーノは「彼らには 美しいもの優れたものだけ見せるように」
と 指示していたのに それでも「見て」しまったんですね
この報告書は みごとに隠されたまま 今に至ります
千々石ミゲルの「突然」の棄教の原因って これじゃなかったんでしょうか
ちゃんとした理由があるのに それを隠すとき 人は「突然」を使います
 
歴史を勉強するのは 楽しく 意味のあることですが
時々 こんな風に「知らなければ良かった」という 事実にぶつかります
そんな時 もう一度 顔を上げ 前へ進むために こう思うことにしています
 どんなに隠しても 美化しても 「なかったこと」にはできないもの
 それが「歴史」だ と
 そして「美化しなければ伝えられない歴史」なんて
 もう 伝える価値なんて始めからないんだ と
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by tukitodoraneko | 2007-07-26 11:26 | 江戸のあれこれ

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