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薩摩藩 久光 起つ!

「坂下門外の変」の翌月 2月11日には 和宮と家茂の婚儀も済み
幕府も やっと一息ついたのも 束の間
朝廷からは 「家茂を早く 上洛させろ!」と 矢の催促
 「なんだよー 約束だろー 早く京都まで来て 攘夷の相談しようぜー」 ということです
これに対して 幕府は徹底した逃げ腰
ぬらりくらりのこの態度は 朝廷のみならず 勤皇の志士たちにも火を点けました
 「嘘つき幕府!妹君を人質にして 孝明天皇を廃位に追い込む気か!
 どうやら 国学者の塙 次郎に計画させてるらしいぞ!」 て 言うんで
塙さんは また浪士によって暗殺されちゃいます
単なる噂だったのに お気の毒ですねー でも幕末ってこんな時代
信じることのために 人が殺せた時代 そして自分も死ねた時代なんですね
もう二度と こんな時代が来ませんように・・・

薩摩藩 久光 起つ!_f0122653_13053100.jpgはい!先に進みます
幕府に対して怒ったのは 浪士たちだけではありません
薩摩藩の島津久光です 名君・斉彬の死後 
藩主の実父として 藩の権力を 握ってました
久光は 兵を率いて上洛します
朝廷の力を借りて 幕政を改革しようと図ったのですね
この時の決定は 文久2年(1862)のことなので
「文久の改革」といわれます
まず 家茂を上洛させること
また 沿海の5大藩を 大老にすること (薩摩・長州・土佐・仙台・加賀の5藩です)
そして 最後に 一ツ橋慶喜を将軍後見職に 松平春獄を政治総裁職に 
会津藩主・松平容保を京都守護職に と言う内容
井伊直弼に 断罪された 一橋派の復権です
この他にも 安政の大獄の処分者の赦免・過激すぎる攘夷派の取り締まり
なども 進言しました
これらはすべて 孝明天皇に受け入れられ 勅許という形で
幕府に 使者が送られることになりました
いち外様大名の意向で 勅許が下りるなんて 幕府健在の頃なら
ありえない話でした 久光 恐るべし!です
この後 久光は 使者の警護の名目で 江戸まで 出張ります
この時 随行した薩摩藩士たちは ひと目でそれとわかる長刀
大たぶさ(でっかい髪型)で 市中をうろつき
幕臣たちに 無言の圧力をかけたとか・・・
さて 要求が通ると 久光一行は帰国の途につくのですが
その途中で 「生麦事件」が 起こるのです

つづく

by tukitodoraneko | 2007-04-04 13:56 | 江戸のあれこれ

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