江戸の食文化 料理屋

江戸の料理屋は すごい数があったようなので 全部書くのはムリです
山谷の八百善 深川平清 浮世小路百川 柳橋の万八 深川の二軒茶屋(伊勢屋と松本)
この辺りは 情報がい――っぱいありますので 書きません
王子の扇屋・海老屋 葛西太郎(中田屋)も同じです
私が おススメなのは 洲崎升屋=望汰欄(ぼうだら)です
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四方山人(太田南畝・蜀山人)作・勝川春潮 画 「頭てん天口有」 (あたまてん天に口あり)
は 「江戸の戯作絵本(二)」に 載っています
これには 天明以前の料理屋の名が ほとんど出ています
由比正雪の乱を 料理争いに変えた筋書きで 升屋は その大将株
これは 田沼のワイロ時代の いわゆるお留守居茶屋
寛政以降 雨後の筍のごとく乱立する多くの料理屋とは一線を画すぜいたくな店
太田南畝は 土山宗次郎と ここによく来ていました
玄関は黄檗風 高麗縁の畳に三の間付きの座敷
庭には何と!蹴鞠場まであったというのです
主人 升屋宗助は 号・升億 隠居して祝阿弥と名乗った江戸随一の料理人
南畝たちとは 文人仲間として 仲も良かったようですね
ここをひいきにしたのは 雲州松江の南海公・松平宗衍(むねのぶ)です
「望汰欄」の名付け親は この人で 棒だらt料理と酔っ払いの「ぼうだら」
そして 欄間から望む海の景色をかけ 鉄で鋳た扁額を贈りました
上の絵は その扁額が光って 敵を追い散らす場面ですね
この升屋は 洲崎弁天の向いにあったのですが
寛政3年(1791)9月の高潮に流され 以降 洲崎は幕命で
家屋を建てる事が出来なくなりました
南畝の「俗耳鼓吹」(ぞくじこすい)には ある日の升屋の献立が載っていますが
なかなか ぜいたくなものですよ (近代ライブラリーで読めます)
時には 牛込から舟に乗って 洲崎まで行っています
柳橋で芸者を乗せて 呑み始め 着いた時には すっかり「ぼうだら」だったとか
うらやましいですねー
1級の問題には この「望汰欄」出そうな気がしますので 宗衍=南海公 覚えといてね
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by tukitodoraneko | 2014-06-13 18:30 | 江戸の食文化

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