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有岡城と又兵衛とだし

有岡城と又兵衛とだし_f0122653_15575223.jpg「部屋とYシャツと私」みたい?
有岡城は 昭和50年の発掘調査で「国指定史跡」になったんですね
もとは鎌倉時代に伊丹氏が居館として建てたもので 戦国期に堅固になっていったようです
今は 福知山線・伊丹駅の北西に公園になっていますね
荒木村重は 天正2年(1574)織田方の将として この伊丹城を落とすと 有岡城と名を変えました
総構えという 近世の城のように町を含んだ作りとなっていて
伊丹段丘の高低差を利用した南北1,6km 東西800mの壮大な構えだったそうです
今 ここには「信長公記」からとった村重とだしの歌碑が 建っています

    霜かれに残りて 我は八重むくら なにはのうらの底のみくすに       たし

    思いきや あまのかり橋ふみならし なにはの花の夢ならむとは      荒木村重


だしは この時 まだ21才だったんですねー・・・

官兵衛は 小寺政職に「荒木が気を変えたら 織田方に戻ってもいいよ」と言われ
むざむざと 説得に訪れて そのまま生け捕り・監禁になってしまいます
有岡城が落ちる1年後まで じめじめした牢獄に枷をはめられていた官兵衛は
無残な有様になってしまうのです
なぜ 一人で有岡城に行ったのか? なんとも理解に苦しみます
小寺氏を織田方に付けることに 執着したのはなぜなんでしょうね?
小寺氏と荒木氏の間では おそらく官兵衛の処置は 了解済みだったと思うんだけど・・・

そしてもう一つ だしの抱いてるあの子は ホントに岩佐又兵衛になるの?
じゃあ岩佐の姓は どこから来たの?
うーん・・・謎が多い!

by tukitodoraneko | 2014-05-15 16:31 | 大河ドラマ

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