軍師官兵衛 第15回「播磨分断」

昨日の大河の進み具合は 天正6年(1578)
信長に報告のため 一時 安土に行った秀吉が戻ってきて
書写山に陣を構え 加古川城で軍議を開いたのが3月7日
この席で 別所吉親(あのうるさい叔父さん)や 同じく別所氏に仕える
三宅治忠が 秀吉サイドの「支城からじわじわ攻め落とす」やり方に反発
文句をつけたために 秀吉も激怒!
結局 加古川から帰って 甥っ子・別所長治にやはり毛利につくよう説得してしまいます
別所孫右衛門(気のいい方の叔父さん)が 説得に趣いても 結局無駄で 
三木城は秀吉勢に囲まれることになります
ま、ここは ここまででいいんだけど・・・・
f0122653_11265688.jpg← このシーン もう一度見直したけど 違くない?!
光(てる)のお姉さんの子だよね、
二人とも?
大河では「力」という名前だったけど 実際には実名不詳
落髪後の「妙寿尼」と院号「遍照院」で知られる人でしょ?
上月景高と妻の間にいたのは 
やがて宇喜多秀家の家老に嫁ぐ娘と
後 上月正好(まさよし)となる男の子だよね
ひょっとして直前の上月城主・赤松 政範と混同してない?
上月景高が 宇喜多直家の命で 上月城主になったのは
天正6年(1578)2月ですが 翌月には織田軍によって落城するので
景高は 上月城には一月くらいしかいなかったはず
この辺は 戦記がいっぱいあり それぞれ記述が異なりますが
(例えば赤松と上月氏の混同・・・妻を先に殺して自刃 その首を家臣が秀吉に持って行くが
 結局 全員処刑っていうのは 赤松氏では? 尼子・鹿介の後に上月景高が入城とか)
少なくとも 景高の妻だった妙寿尼は 長政の代まで生きて
光(てる)と一緒に福岡で暮らしてますので その子供のことは
間違えるはずないような気がしますが・・・・
あ、でも天下の戦国研究家・小和田氏が考証してますので
やっぱり 私の間違いですか・・・・?
誰か この辺の事 詳しい方 ご教授たまわりたいです
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by tukitodoraneko | 2014-04-14 12:12 | 大河ドラマ

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