八重の桜 第六回「会津の決意」
2013年 02月 09日
今週の大河は とうとう「京都守護職」拝命ですねー
会津藩の運命を決定した一大決意が 行われるんですね
同じ親藩出身で 政事総裁職の松平春嶽に
「藩祖・保科公が存命なら 必ず引き受けたであろう」
といわれた容保は 養子藩主の悲しさ これを決断してしまうのです
藩臣たちの大反対の中 とうとう西郷頼母は これを期に
容保との信頼関係を失っていくのですね
私は今「忠臣蔵」の勉強しているものですから
この「国家老」の立場が 大石内蔵之助の「藩主よりもお家が大事」
という気持ちと同じなんだなーと 理解できます
せつないですねー・・・
さて 今回はもう一つ 山川大蔵の姉・二葉が 梶原平馬に嫁ぎます
八重や大蔵とは二つ違いのお姉さんですね
両家とも 会津藩では名家です
お相手の平馬は 最近になってやっと
お墓の位置がわかった人ですよ
武闘派で 会津篭城の時も 夫婦でたてこもりますね
しかし長男・寅千代(後の景清)がまだ
三つくらいの明治2年 この二人は 離婚してしまい 平馬は京で知り合った町屋の娘 水野貞(テイ)と再婚してしまうのです
なんだか 覚馬とかぶりますね
長男は 二葉が育てましたので この以降の平馬の足取りがつかめなかったのですが
この水野テイとの間に生まれた三男・文雄の足跡を追うことで
平馬の後半生が わかりました
この文雄さん 22才で東京の赤十字病院で亡くなるのですが どうやらこの頃は 二葉や景清と共に小石川の家に
同居していたらしいのですね
そんなことから梶原平馬は 維新後一時は東京にいて
明治14年函館へ そして翌年 根室に移り県庁の庶務課につとめ 明治22年 47才で亡くなったとわかりました
墓は現在 市営の西浜町墓地にあります
お墓 見つかってよかったですね
できたら 篭城後 平馬が「藩主を逃がし 女は首を取って行こう」といった時に これをいさめたという原田対馬のお墓も 見つかるといいなあ・・・
会津藩の運命を決定した一大決意が 行われるんですね
同じ親藩出身で 政事総裁職の松平春嶽に
「藩祖・保科公が存命なら 必ず引き受けたであろう」
といわれた容保は 養子藩主の悲しさ これを決断してしまうのです
藩臣たちの大反対の中 とうとう西郷頼母は これを期に
容保との信頼関係を失っていくのですね
私は今「忠臣蔵」の勉強しているものですから
この「国家老」の立場が 大石内蔵之助の「藩主よりもお家が大事」
という気持ちと同じなんだなーと 理解できます
せつないですねー・・・
さて 今回はもう一つ 山川大蔵の姉・二葉が 梶原平馬に嫁ぎます
八重や大蔵とは二つ違いのお姉さんですね
両家とも 会津藩では名家です
お相手の平馬は 最近になってやっと
お墓の位置がわかった人ですよ
武闘派で 会津篭城の時も 夫婦でたてこもりますね
しかし長男・寅千代(後の景清)がまだ
三つくらいの明治2年 この二人は 離婚してしまい 平馬は京で知り合った町屋の娘 水野貞(テイ)と再婚してしまうのです
なんだか 覚馬とかぶりますね
長男は 二葉が育てましたので この以降の平馬の足取りがつかめなかったのですが
この水野テイとの間に生まれた三男・文雄の足跡を追うことで
平馬の後半生が わかりました
この文雄さん 22才で東京の赤十字病院で亡くなるのですが どうやらこの頃は 二葉や景清と共に小石川の家に
同居していたらしいのですね
そんなことから梶原平馬は 維新後一時は東京にいて
明治14年函館へ そして翌年 根室に移り県庁の庶務課につとめ 明治22年 47才で亡くなったとわかりました
墓は現在 市営の西浜町墓地にあります
お墓 見つかってよかったですね
できたら 篭城後 平馬が「藩主を逃がし 女は首を取って行こう」といった時に これをいさめたという原田対馬のお墓も 見つかるといいなあ・・・
by tukitodoraneko | 2013-02-09 13:04 | 大河ドラマ