人気ブログランキング | 話題のタグを見る

八重の桜 第六回「会津の決意」

今週の大河は とうとう「京都守護職」拝命ですねー
会津藩の運命を決定した一大決意が 行われるんですね
同じ親藩出身で 政事総裁職の松平春嶽に
「藩祖・保科公が存命なら 必ず引き受けたであろう」
といわれた容保は 養子藩主の悲しさ これを決断してしまうのです
藩臣たちの大反対の中 とうとう西郷頼母は これを期に
容保との信頼関係を失っていくのですね
私は今「忠臣蔵」の勉強しているものですから
この「国家老」の立場が 大石内蔵之助の「藩主よりもお家が大事」
という気持ちと同じなんだなーと 理解できます
せつないですねー・・・
八重の桜 第六回「会津の決意」_f0122653_12373998.jpgさて 今回はもう一つ 山川大蔵の姉・二葉が 梶原平馬に嫁ぎます
八重や大蔵とは二つ違いのお姉さんですね
両家とも 会津藩では名家です八重の桜 第六回「会津の決意」_f0122653_12403752.jpg
お相手の平馬は 最近になってやっと
お墓の位置がわかった人ですよ
武闘派で 会津篭城の時も 夫婦でたてこもりますね
しかし長男・寅千代(後の景清)がまだ
三つくらいの明治2年 この二人は 離婚してしまい 平馬は京で知り合った町屋の娘 水野貞(テイ)と再婚してしまうのです
なんだか 覚馬とかぶりますね
長男は 二葉が育てましたので この以降の平馬の足取りがつかめなかったのですが
この水野テイとの間に生まれた三男・文雄の足跡を追うことで
平馬の後半生が わかりました
八重の桜 第六回「会津の決意」_f0122653_12521212.jpgこの文雄さん 22才で東京の赤十字病院で亡くなるのですが どうやらこの頃は 二葉や景清と共に小石川の家に
同居していたらしいのですね
そんなことから梶原平馬は 維新後一時は東京にいて 
明治14年函館へ そして翌年 根室に移り県庁の庶務課につとめ 明治22年 47才で亡くなったとわかりました
墓は現在 市営の西浜町墓地にあります
お墓 見つかってよかったですね
できたら 篭城後 平馬が「藩主を逃がし 女は首を取って行こう」といった時に これをいさめたという原田対馬のお墓も 見つかるといいなあ・・・

by tukitodoraneko | 2013-02-09 13:04 | 大河ドラマ

<< 秋月悌次郎 神のような人 赤穂義士史料 >>