国芳 死に絵と墓表

f0122653_1024765.jpgはい、もう一枚国芳の肖像が
続きます
こちらは「自画像」ではなく 国芳の死後 弟子の芳幾が描いた いわゆる「死絵」です
ちゃんと 前向いてますね
俗名 井草孫三郎 号 朝桜楼
法号や 没年もわかります
文久元年(1861)3月5日に
65才で亡くなっています
寺は 浅草 八軒寺町 大仙寺
今はもう 小平に移っています
その後に 三人の追悼句が 
あります
楼号も 手向くによし朝さくら
            (有人)
すり合わす袖にも霜の別れかな
            (魯文)
摘ためた袖にしほるる土筆かな
            (玄魚)

有人は山々亭有人=条野採菊
魯文は 仮名垣魯文
玄魚は 宮城玄魚(はるな)=

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梅素亭のことです
三人とも 明治になってから新聞に関わる人物ばかりですね
国芳は 奇矯な面ばかり強調されますが
人柄もよく 面倒見もよかったようで
13回忌の 明治6年には 弟子達が集まって
三囲神社「一勇斎歌川先生墓表」をたてています
私はまだ 見たことないんですが この表には
国芳の事跡・人柄が書かれているそうです →
ネット上に写真はいっぱいありますが これ
ちゃんと読んで 内容書いてくれる人いませんね
せめて 字が読めるくらい鮮明な写真はないものか・・・
あ、自分で行って 読んで来い!って?
はーい 涼しくなったら行きますから 碑文の読める人 同行してくださいねー^^/
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by tukitodoraneko | 2012-08-03 11:20 | 江戸のあれこれ

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