カフェタイガーのAKBシステム
2012年 07月 11日
銀座プランタンの女給さんを出してみました
本当は「女ボーイ」 それも不思議な呼び方ですが もともと外人が少年の給仕役を「BOY!」と呼んだところから ボーイ=
給仕の意味だったのですね
新聞広告で「女ボーイ」を募集した時 字数が多かったので「女給」としたのがきっかけだそうです
この当時の女ボーイは ただ給仕するくらいで 今のメイド喫茶のメイドさんと同じ
大坂資本が入って お色気路線になり 風俗営業になっていくのは ずっと先
昭和6~7年のことですので まちがえないでくださいね
プランタンの開業から4ヶ月後 尾張町の南角(現・銀座五丁目)に有名なカフェライオンがオープンしました
ここは「精養軒」の経営で 本格的なカフェの第一号と
言われます
当時の女給さんのコスチュームは 西洋料理店ながら 洋装は少なく 花模様の銘仙ぐらいなもの
髪も上のような「203高地」と呼ばれた髪型が全盛でした
その中 ライオンでは揃いのオリーヴ色の看護婦的な 和洋折衷のコスチュームで 真っ白なエプロンを胸高につけて 背中で大きな蝶々結びにしていました
これが大うけで 店内を飛び回るその姿は 「白い蝶が飛び交う光景を彷彿させ」 これ以来「夜の蝶」と言う呼び方ができた・・・と書かれています
ここは 当時には珍しい三階建てで 二階には余興場もあり お抱えオーケストラが毎夜 楽を奏で ビールが
予定量売れると 大きなブロンズ製のライオンが吼える
趣向だったとか
ライオンから遅れること数年
浅野財閥(総一郎)の資本で 森永の辺りに
カフェタイガーがオープン
ライオン・タイガー時代の到来です
西条八十・中山晋平コンビの「当世銀座節」で
「♪東京銀座は 恐ろしところ 虎と獅子とが酌に出る」と 唄われました
このタイガー 三十名ほどの美人女給を 赤・青・紫 三組に分け 日替わりで 1、2階を
ローテーションしたそうです
まるで AKB48みたいなシステムですねー
それだけじゃない! ビール一本ごとに付く「投票券」で お気に入りの女給に人気投票ができたんです
これもAKBの「総選挙」と同じですね(こちらの投票券はCDですが)
ちなみに ビールを150本買って お気に入りを一位にしたのは菊池寛
飲みきれない分は お持ち帰りしたそうですよ
現代のオタクを 笑えませんねー
「当世 銀座節」は「♪たとへ百夜を来ればとて チップ二十銭じゃほれはせぬ」と 続きます
当時の相場では 50銭でも下の下 一円が相場で
三円わたせば 次に来た時 顔を覚えていてくれるそうです
いい商売だなー そして男って明治・大正から 馬鹿なんだなー・・・・・
本当は「女ボーイ」 それも不思議な呼び方ですが もともと外人が少年の給仕役を「BOY!」と呼んだところから ボーイ=
給仕の意味だったのですね
新聞広告で「女ボーイ」を募集した時 字数が多かったので「女給」としたのがきっかけだそうです
この当時の女ボーイは ただ給仕するくらいで 今のメイド喫茶のメイドさんと同じ
大坂資本が入って お色気路線になり 風俗営業になっていくのは ずっと先
昭和6~7年のことですので まちがえないでくださいね
プランタンの開業から4ヶ月後 尾張町の南角(現・銀座五丁目)に有名なカフェライオンがオープンしました
ここは「精養軒」の経営で 本格的なカフェの第一号と
言われます
当時の女給さんのコスチュームは 西洋料理店ながら 洋装は少なく 花模様の銘仙ぐらいなもの
髪も上のような「203高地」と呼ばれた髪型が全盛でした
その中 ライオンでは揃いのオリーヴ色の看護婦的な 和洋折衷のコスチュームで 真っ白なエプロンを胸高につけて 背中で大きな蝶々結びにしていました
これが大うけで 店内を飛び回るその姿は 「白い蝶が飛び交う光景を彷彿させ」 これ以来「夜の蝶」と言う呼び方ができた・・・と書かれています
ここは 当時には珍しい三階建てで 二階には余興場もあり お抱えオーケストラが毎夜 楽を奏で ビールが
予定量売れると 大きなブロンズ製のライオンが吼える
趣向だったとか
ライオンから遅れること数年
浅野財閥(総一郎)の資本で 森永の辺りに
カフェタイガーがオープン
ライオン・タイガー時代の到来です
西条八十・中山晋平コンビの「当世銀座節」で
「♪東京銀座は 恐ろしところ 虎と獅子とが酌に出る」と 唄われました
このタイガー 三十名ほどの美人女給を 赤・青・紫 三組に分け 日替わりで 1、2階を
ローテーションしたそうです
まるで AKB48みたいなシステムですねー
それだけじゃない! ビール一本ごとに付く「投票券」で お気に入りの女給に人気投票ができたんです
これもAKBの「総選挙」と同じですね(こちらの投票券はCDですが)
ちなみに ビールを150本買って お気に入りを一位にしたのは菊池寛
飲みきれない分は お持ち帰りしたそうですよ
現代のオタクを 笑えませんねー
「当世 銀座節」は「♪たとへ百夜を来ればとて チップ二十銭じゃほれはせぬ」と 続きます
当時の相場では 50銭でも下の下 一円が相場で
三円わたせば 次に来た時 顔を覚えていてくれるそうです
いい商売だなー そして男って明治・大正から 馬鹿なんだなー・・・・・
by tukitodoraneko | 2012-07-11 13:03 | 明治・大正・昭和