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井上源三郎と 新撰組クイズ

大河や歌舞伎に寄り道し その間も書きたいことは どんどん溜まります
とりあえず 日野歩きの最後を 井上源三郎で まとめておきましょう
おまけに Sさん特製の「新撰組クイズ」をつけておきますから
われこそは!という組ヲタの方は 挑戦してみてね!
井上源三郎と 新撰組クイズ_f0122653_1240066.jpgさて 日野には 八王子千人同心の子・井上源三郎の資料館や菩提寺などがたくさん残っています
← お墓は 宝泉寺ですね
兄の松五郎と共に 天然理心流を学び 文久3年(1863)には 上洛して 新撰組の六番隊の組長も勤めています
慶応4年(1686)鳥羽・伏見の戦いで40才で戦死
その首は 松五郎の子=甥の泰助が 日野に持ち帰りたい一心で 持って逃げますが
井上源三郎と 新撰組クイズ_f0122653_12481853.jpg「人の首があんなに重いとは思わなかった」(泰助談)
そりゃあそうでしょう この泰助 9才の時から「剣術修行のため」新撰組に預けられ 近藤勇の小姓を勤めていましたが 
この時わずか12才
後 昭和2年 71才まで 存命でした
しかし この泰助が 「通りがかりの寺の門前に埋めた」源三郎の首は 長い間行方不明のままでした
これには 不思議な因縁話があります
当時 賊軍だった新撰組に関して 誰もが口を閉ざしていたのでしょう
後年 調査された時は この泰助の息子の嫁・ケイさんが 存命しているだけ
井上源三郎と 新撰組クイズ_f0122653_1344818.jpgケイさんは尋ねられて「欣浄寺に埋めた」と答えたのですね
しかし ここに 思いもよらぬ偶然が!
井上源三郎の実家のまん前にある寺の名が 「欣浄寺」
だったのです
「こりゃあ ダメだ ぼけちゃってんだろう・・・」ということで
もう 調査不能と判断されたのですが 近年になって 
鳥羽の敗走経路に 調査当時は 廃寺になっていた
「欣浄寺」が 存在していたことが分かったのです
何年前だったかなー・・・私はこれを 新聞記事で読んだ
覚えがあるんですがねー
現在は 鳥羽のほうの欣浄寺で法要も行われ 
その土が持ち帰られて供養されています
井上源三郎と 新撰組クイズ_f0122653_137585.jpgせめて現場の土だけでも日野に帰れてよかったですね
さて では 新撰組クイズです

① 斉藤一の変名ではないのはどれ?
  A 山口次郎  B 一瀬伝八  C 斉藤一諾斉 
  D 藤田五郎

② 血統書№1!大名の子息でありながら新撰組隊士
   だったのは?
  A 三好胖  B 大野右仲 C 三浦啓之助 
  D 印具馬作

③ 新撰組隊士の中で 入隊前に日野宿本陣に大工として働きに来ていたのは誰?
  A 横倉甚五郎  B 大石鍬次郎 C 斉藤一 D 沼尻小文吾

④ 函館新政府の中で かつて天然理心流剣術を学んだことがあるのは?
  A  中島三郎助  B 甲賀源吾  C 荒井郁之助  D ブリュネ

⑤ 沖田総司が亡くなった地の候補の一つが 植木屋平五郎の離れです 
   平五郎の子孫は誰?
  A 富司純子  B 江波杏子  C 大地真央  D 草笛光子

⑥ 実際にいたと言われる「この仕事専門」の新撰組隊士は誰?
  A 近藤や土方のペットの犬猫の世話をしていた「いきもの係」隊士

  B 隊士の破れた着物を縫う「お裁縫」隊士

  C 不逞浪士の人相書きを描いた「似顔絵絵師」隊士

  D お座敷を盛り上げ 幇間をした「宴会部長」隊士

コメント欄に 答えをどうぞ!
   

   


 

by tukitodoraneko | 2012-07-06 13:32 | 江戸あるき

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