信西の首
2012年 07月 03日
信西役・阿部サダヲさん 「ステラ」の表紙ですね
お疲れさまでした
私は「マルモ」より 好きでしたよ
さて では「平治の乱」もう少し詳しくやっておきましょう
平治物語絵巻にもあるように 義朝が三条殿を襲ったのは
12月9日の深夜のこと
後白河院を 牛車で連れ出し 内裏の横・一本御書所に
幽閉してしまうと 信頼の命で 三条殿に火をかけました
御所につとめる女御や子供までが 井戸に飛び込んだりして多くが亡くなり この残忍な所業に 他の貴族・公家達は
驚き呆れてしまうのですね
2時頃には すぐ隣の信西邸も襲われますが 当の信西と
その息子たちは いち早く逃げ出していました
翌10日 歳若い二条天皇を擁して関白以下の公卿を非常招集し
14日には 信頼・義朝はそれぞれ念願の大臣・従四位下播磨守になり
長男・頼朝も右兵衛権佐(うひょうごんのすけ)になります
まー 17日に清盛が帰ってくるまでの「三日天下」ですがね
この時 二条天皇の側近でさえ「大勢殺したものに恩賞があるなら 三条殿の井戸が
勲功第一だ」 と言って 皮肉ったということですよ
すでに 信頼・義朝は 公卿達からも 見離されていたのですね
一方 逃げ出した信西は 宇治の田原まで逃げて力尽き
この前日13日 穴を掘って自害した所を 源光保に討ち取られました
「平治物語絵巻・信西巻」には こうして討ち取られた信西の首が 槍の先につけられ 京に持ち帰られる場面が描かれています
先日 私も静嘉堂美術館で 見てきましたよ
この首は 京の西獄門の前の木にさらされた・・・と「平治物語」に書いてあります
さて ここで おもしろいことが一つ
大河ドラマでは この信西の首 門の棟木に架けられていましたね
清盛も 門を見上げて 嘆いていました
絵巻と 同じですね ↓
これ原文では 当時 楝(おうち・樗とも)の木と言った 栴檀(せんだん)の木のことなんですね
おそらく絵巻を描いた絵師が 楝の木と棟木を読み間違え あんな所に首を描き それが後世
まで伝わってしまったのではないでしょうか
確たる証拠はありませんが 他にこんな門の上の横木に 首をさらすと言う例は知りませんし
楝(おうち)と棟 いかにも読み間違いそうな字ですよね
信西の首 死後も結構 問題提起してくれます
お疲れさまでした
私は「マルモ」より 好きでしたよ
さて では「平治の乱」もう少し詳しくやっておきましょう
平治物語絵巻にもあるように 義朝が三条殿を襲ったのは
12月9日の深夜のこと
後白河院を 牛車で連れ出し 内裏の横・一本御書所に
幽閉してしまうと 信頼の命で 三条殿に火をかけました
御所につとめる女御や子供までが 井戸に飛び込んだりして多くが亡くなり この残忍な所業に 他の貴族・公家達は
驚き呆れてしまうのですね
2時頃には すぐ隣の信西邸も襲われますが 当の信西と
その息子たちは いち早く逃げ出していました
翌10日 歳若い二条天皇を擁して関白以下の公卿を非常招集し
14日には 信頼・義朝はそれぞれ念願の大臣・従四位下播磨守になり
長男・頼朝も右兵衛権佐(うひょうごんのすけ)になります
まー 17日に清盛が帰ってくるまでの「三日天下」ですがね
この時 二条天皇の側近でさえ「大勢殺したものに恩賞があるなら 三条殿の井戸が
勲功第一だ」 と言って 皮肉ったということですよ
すでに 信頼・義朝は 公卿達からも 見離されていたのですね
一方 逃げ出した信西は 宇治の田原まで逃げて力尽き
この前日13日 穴を掘って自害した所を 源光保に討ち取られました
「平治物語絵巻・信西巻」には こうして討ち取られた信西の首が 槍の先につけられ 京に持ち帰られる場面が描かれています
先日 私も静嘉堂美術館で 見てきましたよ
この首は 京の西獄門の前の木にさらされた・・・と「平治物語」に書いてあります
さて ここで おもしろいことが一つ
大河ドラマでは この信西の首 門の棟木に架けられていましたね
清盛も 門を見上げて 嘆いていました
絵巻と 同じですね ↓
これ原文では 当時 楝(おうち・樗とも)の木と言った 栴檀(せんだん)の木のことなんですね
おそらく絵巻を描いた絵師が 楝の木と棟木を読み間違え あんな所に首を描き それが後世
まで伝わってしまったのではないでしょうか
確たる証拠はありませんが 他にこんな門の上の横木に 首をさらすと言う例は知りませんし
楝(おうち)と棟 いかにも読み間違いそうな字ですよね
信西の首 死後も結構 問題提起してくれます
by tukitodoraneko | 2012-07-03 10:30 | 大河ドラマ