平治の乱

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さて 昨日の大河では 信西が自害し 源平の棟梁が 直接対決となりそうでした
しかし 実際には この時代 源氏と平氏の間には 大きな隔たりがありました
これ以降 鎌倉幕府の成立に至り 書かれた物語は
全て 源氏を過大評価して描かれています
義朝は 「保元の乱」での活躍を認められず 平家ばかりが恩賞を受けたことに
恨みを持ったように描かれますが 保元の乱以前の二人の立場は
清盛はすでに正四位下 公卿の一歩手前という位階
それに対し 義朝は従五位下という六段階下の地位だったのです
肩を並べるには 格差がありすぎますね
清盛にしてみれば 源氏は 多くの「平氏以外の武家」の一つに過ぎなかったのです
それは 源氏サイドから見ても 同じこと
だからこそ 清盛が京を離れた隙に 事を起こしたのですね
六波羅から 急を告げる使者が出たのは よく十日の早朝のこと
この使者は翌日 紀伊の田辺で 清盛一行に追いつきます
15人ほどの少人数だった清盛は はじめ西国に下って 援軍を集めることも考えたそうです
しかし 紀伊の武士・湯浅宗重が 37騎を従え 駆けつけ
また熊野別当の湛快(たんかい)が 弓矢・鎧を献上してくれ
これに力を得た清盛は 一路 京をめざします
「平治物語」では 悪源太・義平(義朝・長男)が 阿部野で待ち伏せしているという
噂が流れて 清盛が戦々恐々とするところが描かれていますが
実際問題として 急遽おこした計画性のないクーデター
義朝は 御所を警護するのに手一杯で 他に回す人数などなかったのでしょう
計画性がない・・・というのも もし以前から計画したのなら
東国から もう少し援軍を集められたはずだからです
こうして 17日 清盛はなんなく六波羅に戻りました
続きは また明日・・・・
 
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by tukitodoraneko | 2012-07-02 11:08 | 大河ドラマ

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