烈公VSねずみ小僧

さて 今 わたしはゴールデンウィーク中のニューオータニ・ガイドに向けて 
せっせとお勉強中
常に一回くらいしか行ったことないところを案内するという ど素人ガイドなので 
事前の準備が大変です
今は 小石川と水戸藩と後楽園の話ばっかり 読んでます
結構 おもしろいですよ 今日はその中からこんな話を・・・
f0122653_12365528.jpg← はい!よく見る写真  だーれだ?
幕末の水戸藩・9代藩主 斉昭=烈公です
f0122653_1245394.jpg見るたびに「竹中直人!」と 思うんだけど・・・
似てますよねー? →
大河に出てた時は 斉昭にしか
見えませんでしたけどねー
ぜひぜひ テレビで見たいですよ
竹中直人の「水戸斉昭」
この斉昭は 8代藩主の兄・斉脩(なりのぶ)が 亡くなると
将軍家から養子を取ろう・・という江戸家老らの一派と対立し大騒動の末 藩主の座に着いた人です
ごぞんじ 時の11代将軍・家斉は子だくさん
生まれた子は 持参金つきで大家へ養子に出したので
財政逼迫の大名家では 嫡子を廃嫡してまで 養子をもらう藩もありました
そんな中 藤田東湖はじめ これに反対して大勢の水戸藩士らは
断りも無く江戸へおしかけ抗議行動 のちにこの一派は「南上派」と呼ばれ
弟・敬三郎=斉昭が 藩主について後は 重用されたので
水戸藩は 以降 何かあれば簡単に江戸へ出る=「南上する」と言うことになるんですね
f0122653_13133537.jpgさて この敬三郎がまだ部屋住みで 小石川屋敷に
いた頃
文化・文政の世を騒がせたのは 鼠小僧次郎吉です
義賊として 芝居にもなった人気っぷり
外聞を恥じて 訴える屋敷は少なかったといいますが
実は 水戸屋敷も 再三 被害にあっていたのです
やっきになって警護はしても そもそも男っ気のない
奥御殿に入り込むので どうにもなりません
若き日の烈公は 文字通り 烈火のごとく怒って
「たかがこそ泥の一匹ぐらい 多勢の武士どもの
手に余るとは何事か!」
と 自身 長柄の槍をかいこんで 
寝ずの番ならぬ「ネズミの番」
それでも 終始 ネズミにからかわれ気味で 
終わったそうです

上の絵は 三代豊国描くところの 四代目市川小団次のねずみ小僧
安政4年 正月 市村座初演の「鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)」
二代目河竹新七(黙阿弥)作 全五幕より

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by tukitodoraneko | 2012-04-26 13:31 | 江戸のあれこれ

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