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平清盛「ふたりのはみだし者」当日勉強

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上の絵は 「とり合わせ」=闘鶏を しているところですね
平安期には 3月3日に五穀豊穣を願って 闘鶏を行ったそうです
今日の大河に初登場の雅仁(まさひと)親王
後白河法皇
は この闘鶏や猿楽が大好きだったといいます
平清盛「ふたりのはみだし者」当日勉強_f0122653_14443894.jpg先日 書いた「梁塵秘抄」は今様=流行歌集でしたね
こちらは10代の頃から 夢中だったそうです
この遊び好きの親王 このままでいけば
遊び暮らして それなりに楽しくすごしたでしょう
兄は崇徳天皇ですし その次の天皇には
美福門院が生んだ腹違いの弟が 3才で近衛帝になりました
もう 自分には回ってこないから 楽しく遊んで暮らそうぜ!
というのが 彼のコンセプトだったでしょう
ところが まさかの弟・近衛帝の急死
おまけに 父・鳥羽上皇は 兄貴・崇徳とは仲が悪いし 
結局 なるはずのない天皇になってしまったわけです
その上 直後に 長年 全てを掌握していた父・鳥羽法皇も逝去
あっという間に 保元の乱も始まります
「愚管抄」には この後 日本国の乱逆が発生し
「武者の世(むさのよ)」が始まった
・・と書いてあります
おまけに鳥羽法皇は 彼を「即位のご器量にはあらず」と 思っていたことも・・
彼の乳母は あの高階(藤原)通憲=信西(阿部サダヲさん)の妻でしたので 
信西は ずっと彼の養育・補佐係
その信西でさえ 「和漢の間 比類少なき暗主なり 謀反の臣 かたわらにあるとも
一切 覚悟のお心無し」
と こき下ろしているのです
確かに 後白河天皇は 賢い忠臣よりも 遊びにくわしいへつらい者が大好き
困った人ではあったのですが 天皇・上皇・法皇として
三十数年 君臨し続けたのも確かです
どこかしら 人間的で 惹きつけられるカリスマ性があったのでしょうか
今夜の 初登場が楽しみですね!
  

by tukitodoraneko | 2012-03-04 15:19 | 大河ドラマ

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